カルトと自己啓発について

自己啓発万歳

カルトと自己啓発

高校時代から「やる気を出す方法」などの自己啓発モノを読んでいた私ですが、 東大ではカルトについて少しは学び、アンチカルトの精神を身に付けました。

しかし、ザ・シークレットを見て異様に感激してしまい、冷静な判断を失い 本とDVDを買ってしまうという行動に出てしまい、 落ち込んだ時の人間の精神状態というものは 簡単に外部の影響を受けてしまうことが身をもって体験できました。

しかし、これがシークレットの本とDVD合わせて6,000円程度で済んだからいいようなものの、 もしカルト集団に勧誘されていたらと考えるとゾッとします。 カルトといえば、自己啓発セミナーがカルト集団に変貌する ニュースが少なからずあるように、自己啓発とカルトは切っても切れない縁みたいです。 というわけで、私なりのカルトについて思うことを書いてみます。

私なりのカルトの定義

今の日本ではカルトという言葉が簡単に使われていますが、 「自分の価値観と異なる何かキモいもの」 という意味合いで使われているので、カルトの定義は人それぞれで異なっています。

1人1人の価値観は違うものなので、人それぞれでいいと思うので、 以下は私の価値観に基づく、私なりのカルトの定義です。

@群れる

カルトは必ず群れています。 1人だと「変な人」程度で済まされます。 私がカルトに対して抵抗を感じる一つに、この集団性があります。

A価値観を押し付けてくる

「自分たちの考えは正しい」と思っているだけならいいのですが、 それを他人にまで押し付けてきます。 酷いときには脅しや暴力で訴えてきます。 甚だ迷惑な話です。

B指導者の言うことは絶対

集団で固まっているカルトには指導者がいて、 「指導者の言うことには絶対服従」という決まりがあります。 指導者に逆らったりしないように、「○○長」などの監視役がいます。 さらに酷い状態になると、構成員1人1人が、 お互いを監視し、指導者に逆らわないか見張り合っています。

C不当に高額な金、肉体的苦痛を要求する

カルトでは、「みんなのため」という大義名分をかかげ 個人に高額なお金を要求してきます。 金だけならいいのですが、「みんなのため」「みんなやっているから」 という理由で、肉体労働(もちろんタダ働き)などの苦痛も要求してきます。

Dプライベートにまで侵入してくる

カルトには個人の自由は認められていません。 更に、休日に電話での呼び出し、自宅へ押しかけてくるなど 個人のプライベートにもズカズカと入り込んできます。 これも全部「みんなのため」とかいう理由からです。 みんなのためみんなのためって、その「みんな」というのは 一体誰のことなのでしょうか?

以上、私なりのカルトの定義を挙げてみました。

みなさんも、人生をメチャクチャにされない為に カルトの定義を立てて、そういうものには近づかないように 用心すればいいと思います。

それで、書いていて気付いたのですが、 現在(2011年)私の勤めている会社が、@〜D全てに当てはまりました。 入社してから現在までの事を思い出すと、私が勤務しているブラック企業は、 本当に@〜Dの通りで、私の考える「カルトそのもの」だったのです。

冒頭に「もしカルト集団に勧誘されていたら・・」などと書きましたが、 きっちりカルトに勧誘されて、ホイホイ入信しているではございませんか (というか今の私には、この現代日本の社会全体が、「家畜の価値観」に支配された、 カルト集団に見えてしまいます)

やっちまったもんは仕方ないし、まだ何とか取り返しがつくので この失敗を生かして、カルトから身を守り、 カルトの思想に染まらないためにはどうすれば良いか、考えたことを述べてみます。

カルトから身を守るために

ブラック企業という名のカルト集団の真っ只中にいる私が考えるに、 カルトから身を守る一番効果的な方法は、 「カルトとは異なる強力な価値観を持つ」 ことではないかと思います。

私の場合だと、「現代日本で楽に生きるには」に書いたとおり、 家畜の価値観から解放されつつあり、生きることが楽になってきています。 しかし、周囲がブラック企業社員というカルト構成員ばかりであり 毎日私の行動を監視し、家畜の価値観を押し付けてきます。

わざわざ対立する必要は無いのですが、家畜の価値観に屈しないように 自分の「自由万歳」という価値観を強化しなければなりません。 そのための自己啓発なわけです。私にとっては。

自己啓発といっても、私の場合は部屋に籠って、 1人で自己啓発モノの本や映像を見るだけなのですが。 それでも私には効果絶大なのです。 言い方は悪いですが「毒をもって毒を制す」みたいなのものです。

カルトも自己啓発も、ひいては宗教、道徳、社会の風習なども、 ある一定の価値観を「これは絶対に正しい!」と個々人が信じている点で、全く同じ性質のものです。 何が良くて何が悪いかは、1人1人の考え方や価値観によって異なります。

例えば、

「1人がみんなのために」 「みんなで協力し助け合い、よりよい社会を」 「みんな一緒にがんばろう」

こういう言葉を見ると、良い印象を受ける人が かなりの割合でいらっしゃるでしょう。 学校でも、上記の言葉は「良いこと」という価値観の下、 大人から子供に教えられています。

しかし、集団生活が嫌いな私は、これらの言葉が嫌いです。 私には上記の言葉が カルト邪教団「みんな教」の教義にしか見えません。

言葉自体も全体主義ぽくて嫌ですが、こういう言葉を吐く人間は、 「自分は楽をしてできるだけ他人に依存してやろう」 という魂胆が見え見えなところも嫌いです。

こういう事を書くと、 「不謹慎だ!」とか 「なんてけしからんことを言う奴だ!」 と怒る人がいます。

そうやって怒ったりムキになったりする人たちは、 「みんなで行動・協力することは良いこと」 「集団(クラス、会社)のためにはある程度の犠牲は仕方ない」 といった価値観を絶対的に信じ、しかも盲信している点で、 カルト集団の構成員と何も変わらないということを自覚してください。

そもそも、上記の言葉が使われるのは大抵学校(小中高)や会社といった 家畜の価値観が蔓延している所じゃないですか。 「クラスのために、会社のために」とか「学校での勉強or会社での仕事が一番」とか考えながら、 家族や健康や自分の幸せを犠牲にして 一体何が得られるというのでしょうか。

以前の私も、 「みんなで協力することは大事なこと」 「人間は1人では生きていけない」 と周囲から言われ、それを盲目的に信じてクラスのため、 会社のために自分を犠牲にしてきましたが… ストレスが溜まるし他人に利用されるだけだし、 ロクなことがありませんでした。

そこで、孤独と向き合うに書いたとおり、 自分の心の声と対面したところ

「そりゃあ人間は1人で生きては生きていけないかもしれんけど、 集団、みんなの為に自分を犠牲にするのはナンセンスだ。 自分が幸せだ、満たされていると感じなければ、その集団に属していても 百害あって一利無しだし、自分が幸せだと感じることで 初めて集団、みんなの為に力を使うことができるんじゃないか? そもそも、1人で孤独でいることはそんなに悪いことか? 罪悪感を感じなきゃいけないことか??」

という心の声が聞こえてきて、それに素直に従うと、 自分にかかっていた洗脳が、外れたように思えました。 生きていく上でのストレスが、格段に減りました。

このように、 自分が「これは絶対に正しい」と信じていたものが、 本当は「相対的なものにすぎない」ということを気付かせてくれるのが 私にとっての自己啓発であります。 そして、私にとっての自己啓発は、 カルト思想から抜け出す有効な手段だと考えています。

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