8章 ただ認識する

前回の記事:8章 インナーボディと私の悟り体験

前回は私の個人的体験を書きましたが、今回は本書の内容について、適当に書いてまいります。

まずP.507の「私は在る」という言葉、 これは前回書いたような「内なる空間」をみつけるのに、良いキッカケとなります。

次にP.510の「正しい行動」というやつ。これは自分で何かをやろう、 何とかしようとせずに、「意識」とか「大いなる力」「生命」とよばれているものに、 自分自身や自分の行く末をゆだねる。 これは引寄せというか、以前書いた「フォースを使う方法」に似ていると感じました。

ただ認識する

問題はP.513からの「ただ認識する」というやつで、 ペンやカップをただ観察してみようとか書いてあります。

これはこれで良いのですが、私的にはあまり面白味が無い。

そこで、これを読んでいる皆様には、エ口画像やエ口動画を観察してみて エ口を目覚めのキッカケにしようと提案したい。

これは私がそういうのが好きだというのもあるのですが、 いわゆるスピリチュアルとか悟り系関係の人間というのは、 エ口に対して非常に脆いというのがあります。

お釈迦様もキリストも修行中にエ口の誘惑に苛まれたし、 『婆子焼庵』のような話もあるし(あれは違うかも)、 こういうスピリチュアルや悟りとエ口というものは、 切っても切れない仲なのではないでしょうか。

それに加えて、10章でも同じようなこと書きますが、 湧き上がる煩悩の炎を誤魔化そうとしたり、無理に消そうとしたり 炎から逃れようとしても、炎はますます勢いを増して燃え上がり、 最後は己の全身を焼いてしまうのがオチで、 ならば自ら炎の中に突撃した方が活路が見出せるってもんだと私は考えているのですが、 いかがでしょうか。

四国毒吹き

そんなわけで、この記事を読んでいる18歳以上の方は、 この記事を読んでいるPCなりスマホなりで、 エ口画像やエ口動画をただ観察してみてください。

ムラムラしてきたらムラムラしたままにしておいて、 ただ観察していると、湧き上がる劣情の中に「空間のようなもの」があらわれ、 そのエ口映像を客観視することができます。

さらには、「これはただの映像で、俺がこんなにコーフンしているのは、 俺の脳が過去の記憶を引き出してきて、勝手にやっていることなんだ」 と、エ口システムに惑わされている自分を客観視することができます。

これを何度かやっていると、エ口に対して興奮するのはエゴと脳の仕業だと実感でき、 もう以前のように惰性でエ口に振り回されなくなります。

ただ、あんまりやりすぎると不能になってしまうかもなので、 その辺はバランスをとりながら適当にやってみてください。

次回はもう少しマジメに書きます。

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