「気付き」とは何だ?

言葉で説明できない何か

「気付き」の中にあらわれる大いなる力

このサイトをリニューアルしている最中に、 ニューアース2015の最終章の原稿(メモ帳)を失くしてしまい、 ブルーになっている今日この頃です。

ポジティブファシストのスピリチュアル信者(かつての私)やポジハメ君なら、 「原稿を失くしたことは良いことなんだ!」なんていって、 無理矢理自分を納得させようとするのでしょうが、いくら自分に嘘を吐いても、 やっぱり心の奥底では「もうガッカリだよ〜」という思いがあることに気付きます。

そんなわけで、ニューアース2015では散々「気付き気付き」と書いてきましたが、 今回はこの「気付き」と「大いなる力」「生命」「本当の自分」の関係について 書いてまいります。

思考になった気付きはただの思考

例えば、原稿失くした⇒「あ、俺は今ガッカリしているな」という気付きのプロセスがあるとします。

このプロセスの中で「ガッカリしている俺」に気付いた存在、ニューアースでいうところの 「生命」「本当の自分」「意識」「大いなる力」というのは、一体どの部分でしょうか。

「あ、俺は今ガッカリしているな」の部分ではありません。これはただの思考です。 さっさと答えを言ってしまうと、⇒の部分にあるもの、内にある非言語レベルの思考や感情に気付いた存在、 「あ、俺は今ガッカリしているな」という思考を浮かび上がらせた存在、

この存在こそが、「生命」「大いなる力」なのです。

なので上の例だと、原稿失くした⇒(何か)⇒「あ、俺は今ガッカリしているな」となり、 この(何か)こそが「生命」「大いなる力」なのです。(理解できますでしょうか)

ヴィパッサナー瞑想でも同じ

これは所謂「ヴィパッサナー瞑想」においても同様のことがいえます。

例えば今私はキーボードを打って原稿を書いておりますが、 こういう風にキーボードで文字を打っている場合、 「あー文字を打っている。指を動かしキーボードにタッチしながら字を打っている」 は単なる思考です。

その単なる思考の前段階、動く指の流れを感じ、キーボードに触れる感覚を感知し、 「あー文字を打っている」という思考を浮かび上がらせるまでをやっているのが、 「生命」「大いなる力」というわけで、 キーボードを打っている⇒(何か)⇒「あ、キーボードを打っているな」の(何か)こそが 「大いなる力」なわけですが、この辺実感できる人いらっしゃいますでしょうか。

まあ実感したからといって、何かハッピー☆なことがワンサカ起きるというわけでもないですが、 この辺実感できると、喜び、憎しみ、自由、退屈、豊かさ、恐怖など様々なものが、 この思考や言葉で表現できない(何か)から湧き上がっているということが理解できます。

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