ただ在る

全部エゴ

「ただ在る」とエゴについて

4年くらい前に読んだダイアー博士という人の本の中で、 ニサル何とかマハラジの言葉が紹介されており、 それが私の心に引っかかったらしく、 以下の文がノートに書き留められておりました。

何とかマハラジの言葉

しなければならないことなど何もない。
ただ、そのままでいい。
何もしないで、そこにいなさい。
山に登らなくてもいい。洞窟で座らなくてもいい。
「自分自身でありなさい」とさえ言わない。
自分が誰であるかなど、しょせんわからないのだから。
ただそこに、あるがまま、そのまま存在しなさい。

読んだ当時は、「こいつ頭がおかしいぜ!」「もうわけわかんねぇよ」 というような感じでしたが、何か引っかかるものがあったので、 わざわざ書き留めていたのでしょう。

2013年にメモを読み返したときは、 「うーんそうかもしれない…」 「でも俺にはやらなきゃいけないことが色々あるからなぁ…」 「やらなきゃ身体を損ねたり、最悪死んじゃうからなあ…」 と、こんな感じでございました。

それでこの前、久々にメモを読み返してみると、 「あっ、そっかぁ…」という感じでその言葉が実感でき、 私なりに実感できたことは以下の通り。

ただ在る

その場に座っているなり立っているなりして、ただ存在する。 それが「ただ在る」。

将来の不安や心配が頭に浮かんできても別にOKで、それにとらわれることなく、 後悔が頭に浮かんできても別にOKで、それにとらわれることなく、

「今の状態はどうなんだ、これが噂に聞く”今に在る”ってやつか」 「ただ在るって状態になったら、金や女が手に入るのか」 なんて頭に浮かんできても別にOKで、それらにとらわれることなく、ただ存在している。

それが「ただ在る」。

あとは全部エゴ

わたしなりに実感できたことは以上の通りで、 上記の頭に浮かんでくる思考や、以下の様な思考は、 全部エゴによる思考だということです。

「こんなの意味ないじゃないか!!」 「それをやったからって、一体何になるんだ!!」 「冗談じゃない!!俺にはやらなきゃいけないことが沢山ある」 「やらなきゃいけないことやらなかったら、他人から評価されず、 飯が食えなくなって、腹が減って、最期は飢え死にしてしまう」

確かにそうだし、種の保存とかそういう観点では、エゴも充分役に立っているといえます。 なので「エゴ=悪」だというのは違うということは、前から言っている通りです。

ただ「エゴ=自分である」と、エゴにとらわれるのは、 悪ではないのですが、苦しみが生まれるということです。

映画『リトルブッダ』で、キアヌが演じるシッダールタが戦っていた (というより、ただ観察していた)のは、 まさに上のようなエゴ的思考、「この考えこそ俺だ!俺が考えているんだ!」という思考だと、 私は考えております。

分離もエゴの仕業

あと、「”自分”と”その他”」という、存在の分離もエゴの仕業であります。

これも悪だと決めつけて、万が一消滅させでもしたら、 いきなり「みんな一つだあ!イエーイ!!」とかいって道路に飛び出して、 ミンチになってしまいます。

やっぱりエゴは個の生存とかに役に立ってはいるのですが、 エゴの創りだす幻想にとらわれたら、エゴの幻想を真理だと信じ込んだら、 やっぱり苦しみが生まれてしまうのです。

なので、「ただ在る」をベースにして、エゴの思考や幻想を 「ただ観察する」−”I'm just an Observer.”くらいの姿勢が、 人生を生きていく上で一番生きやすい姿勢であると、私は実感いたしました。

真理を指し示す寝言

というわけで、今まで言葉で表現できなかったものが何とかできるようになったので、 文章にしてみました。

ちなみに「ただ在る」自体は、いまだ言葉では表現できず、「これ」とか「それ」とか「こ↑こ↓」とか、 そんな感じでしか無理です。

こんなの、実感していない人間にとっては意味不明の内容だし、 本当にただの寝言に過ぎないのですが、 願わくば、真理の方向を指し示している寝言であればと思う次第でございます。

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