役割とエゴ 解説まとめニューアース2017 4章

前回の記事:不満と争いとエゴ

今回から4章。

と今までみてきましたが、4章は英語版のサブタイ通り「役割」について。

私は会社勤めを始めて以来、会社なんて「ごっこ遊び」だと常々思っており、 当サイトを開設した当時の記事にも 「会社なんてナントカレンジャーごっこと同じじゃん。下らない」 などと敵意むき出しで書きましたが、

本書によると、何と!会社だけに限らず、 私たちが「普通」だと考えている人生の殆どが「ごっこ遊び」だよというお話。

つまり、

4章:「役割」を迫真の演技で演じることによるエゴの強化

というお話であります。

様々な役割とエゴ

その「役割」についてですが、本章で紹介されている「役割」はザッと見ただけでも

セルフイメージ、善人悪人、恋人、被害者、自己の定義、 幸せ、そこはかとない不幸、ペインボディ、親子、仕事、病気、集団

と、かなりの数があります。

他にも探せばいくらでも見つかるし、 人生の殆どを「役割」を演じて終える人が大半でしょうが、 エゴの構造および同一化の理由は、以前書いた通りで皆同じです。

※構造:「これこそが俺だ!」、理由:「俺は何者でもないことに耐えられない!じっと静止していることに耐えられない! だから”何でもいいから”俺は何者かになるんだ!」

職場でも家庭でもその他コミュニティ内でも、一人きりでいるときさえも、 人生のあらゆる場面で無意識のうちに「俺はこうだ!」と決めつけ、 迫真の演技で役割を演じ、 その役割に操られて無意識の行動パターンをとっている…

さらに、「俺はこうだ!」だけでなく他人に対しても無意識に 「役割」を貼り付けて「お前はこうだ!」と決めつけている。

その結果、本書にある通り、 例えば2人の人間(親子や夫婦や同僚や上司や部下や恋人…何でも)が対峙すると、

という4種の人物(しかも全部インチキ)が介在することになり、 そこにマトモな人間関係なぞ生まれるはずもなく、 遅かれ早かれ混乱や争いが生まれてしまうというわけです。

人々が「役割」に囚われ、「役割」に操られたゾンビの如く行動し、 マトモな人間関係が一切存在しない世界…

これを「狂気の世界」と呼ばずして、一体何と呼べばよいのでしょうか。

いつも通りの生活を

それでは、こういった「狂気の世界」から抜け出すためには、 一体どうすればよいのでしょうか。

もう飽きてきた人もいるかもしれませんが、「気付く」これだけです。

いくら本書に例として書かれているからといって、 かつての私のように「どんな人ともエゴ抜きで平等に接するぞぉ!」と心に決めても、 アイデンティティがそちらに移行しただけなのでエゴは大喜びするし、 実際そんなことしようとしても到底無理な話で、1時間続けば良い方でしょう。

同じく「お釈迦様やキリストみたいになるぞ!」「無為自然になるぞ!」 「エックハルト・トールみたいになるぞ!」も、全く無駄だし無理な話です。 良くて劣化コピーに成り下がるのがオチです。

そんな下らない目標を立てるのではなく、いつも通りの生活をして、 その生活の中で「どんな状況下でも私を役割とを同一化させようとする自分」に、 一つ一つ気付いていけばよろしい。 (話が9章に飛ぶが「何をするかしないか」はあまり重要ではなく、 「意識的であるか無意識か」が重要)

これは自分に対してだけでなく他人に対しても同じで、 「役割」をくっつけようとする”動き”に気付き、 そういう気付きをやっていると、 自分が何なのか分からなくなるでしょうが、それでOKなのです。

何だそれと思われるかもしれませんが、 エゴの「私は充分ではない」という思い込みが、 「もっともっと」といって自分を役割とを同一化させることに気付いてください。

もっと苦しむがいいや!

ここまで読んで「気付き気付きって、それしかないのかよ! そう簡単に気付けないよ!何か他にないのかよ!」 と思われる方もいるかもしれません。

「気付き」なんてよく分からないし面倒だという人に対しては、 実は気付きより簡単なものがあり、それは何かというと、「苦しみ」でございます。

本書に書かれている通り、もはや苦しみが看過できなくなるまで大きくなると、 その苦しみ自体が、苦しみの原因となっている「形との同一化」を崩すというのです。

要するに、「苦しみあるところに無意識あり」 「気付けないなら苦しみ続けろ」ということで、

自分が「狂気の世界」にいることに気付かない、 自分が「存在」であることに気付かないバカチン共に向けられた 最高の恩寵が「苦しみ」だということです。

※少なくとも私はそう思う。 もちろん私は、ニューアースを初めて読んだときから気付くことができ、 苦しんだことなど一度もありません(キリッ

「そんなの嫌だ!俺は苦しみたくない!」という人は、 それは一体誰の声なのかよく観察してみればいいし、 「どういう原理でそうなるんだ!」という人には、 「知らなーい」としか答えようがありません。

でっかくなった苦しみに対し、放っておくなり観察なりすると一体どうなるのか、 実際にやってみて頂戴としか申し上げようがないのが、言語の限界であります。

この辺のことは、StillnessSpeaksの最終章にも詳しく書かれているので、 興味ある人はそちらも参照してくだち。

以上、何か長くなったけど今回はここまで。 次回は4章から気になったところを書いてまいります。

4章 対人関係と不幸に続く。

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