ニューアース

違うだろぉ

解説まとめニューアース2017 8章 The Discovery of Inner Space

前回の記事

今回から8章です。

「形」という牢獄から解放されると「内なる空間」というものを発見でき、 その空間はたとえ悪いと思われることが起きても静寂と平安をもたらしてくれる、 自分で創り出している苦しみがなくなる

※ただし「私は自分の内なる空間を感じることができる」は、思考や言葉が作り出した誤解。 実際に起きているのは、身体として現れている生命が、それ自身を意識したこと。

というお話なのですが、前章につづき本章も読めば分かる箇所が多いため、 今のところあまり書く内容がございません。 (分からないという人は1章から読み直して頂戴)

只今英語版を読んでいる最中なので、 何か気付くことがあれば一通り書いた後に、都度追加していきます。

自分を苦しめているのは自分の思考

まずはこれ。

「旅をしても実はどこにも出かけておらず、私はいつもいるところ、頭の中にいる」 (心当たりある人多いんじゃないのこれ。まさに私なのだが)

「私は、自分の思考のせいで動揺したりしない」

などと、人間がいかに思考に囚われているかが本章には書かれていますが、 結局のところ「苦しみを生み出しているのは、 過去や将来に焦点を当ててインチキ(幻想)を生み出している自分の思考」 ということに気付けるかどうかです。

昨年書いたニューアース解説記事においても、

「今」に意識を向ければ、苦しかった過去や未来の心配事なんて幻想、インチキに過ぎず、 「今」という時空間において私に影響を与えているのは「私の思考だけ」だということ、 さらに、過去の苦しみや未来に対する不安に限らず、「苦しみ」というもの自体が、 私の頭の中で起きていることだけのものである、と気付ける。

などといって、私なりの解釈を書きました。

ここで突然ですが、いかに思考が勝手に湧いてきて、エゴの構造により思考と自分とを同一化し、 苦しみが生まれるか、おさらいとして私の例でみてみましょう。

当時の私が何を考えていたのか知りませんが、 上の記事の後半にはガ○穴ダディーについてしつこく書かれています。

それを見返してみて 「後半は○バ穴ダディーについて書いたんだなあ」と思う。 これは事実であり、エゴの入り込む余地は殆どありません。

ところが、

「何だこれは!この上品な俺様がこんなお下劣千万な記事を書くだなんて、信じられない! こんなの読まれたら、皆が俺のことを基地外か変態だと思うじゃないか! て、既に公開しているから読まれているのか。ああ恥ずかしい!! ああどうしよう、俺様のインテリかつノーブルなイメージがガタ落ちになって女性ファンが減ったらどうしよう。 何でこんなこと書いたんだ…畜生!これも全部あの動画のせいだ!あの動画が悪いんだ!! ああ胃が痛くなってきた、胃がギリギリ痛み始めた…」

このような思考が勝手に次々と湧いてきて、エゴによってこの思考と自分とを無意識に同一化すれば、 後悔、心配、不安、恨み…様々な感情による苦しみが生まれ、事実苦しむことになるのです。

非常に馬鹿馬鹿しい例えですが、これを読んで笑っているそこのあなたも、 中身は違えど普段から同じような馬鹿馬鹿しいことをやっていて、その結果苦しんでいるわけです。

大事なものを失った、車を当て逃げされた、身体に不調が見つかった、試験に落ちた、 友人が陰で自分の悪口を言っていた、上司に怒られた…

事実としてはただそれだけなのに、勝手に湧いてくる思考を自分と同一化、 同一視することで苦しみが生まれているのです。

ではどうすればよいかというと、そういう思考を無理矢理止めようとしたり、 「お釈迦様やキリストみたいに何事にも動揺しないぞ!」なんて嘘っぱちの決意をするのではなく、 「ああ、こういう思考が湧いてきたな」と気付くこと、抵抗せずにただ観察することです。

「事実」とは頭の中で起きていることではなく、「存在」であると気付くことです。

エゴが作り出した幻想(イリュージョン)に気付いて、それを笑うことです。

そしてそれが可能なのは、いつかくる未来とかそんなのではなく、 「今」だけだということに気付いてください。

腕を切り落としても悩みは消えない

本書には禅僧の逸話が色々載っているので、私も禅僧にまつわる逸話を一つ。

慧可が達磨大師に弟子入りを乞うたとき、 自ら片腕を切り落とし決意を示したというお話。

ここで注目すべきは、その決意の固さや覚悟などではなく、 片腕を切り落とすくらいのことでは悩みや苦しみは無くならない、 行動や努力でどうこうできるものではないし、 悩みや苦しみから解放されるためにそんなことしなくても良い、 ということだと私は思う。

その後、弟子入りを許されたは良いが、なおも悩みや苦しみから解放されない慧可が、 達磨大師に「(悩みが消えなくて)辛いです…」と相談したところ、 達磨から「じゃあ悩みとやらを私の前に出してみなさい。私がその悩みを消してやろう」と言われ、 やっと気付いたエピソードからも、やっぱりそうじゃないかと思う。

依存と気付き

お次は本章に書かれている依存について。

本章には「依存のパターンに気付いて呼吸しろ」なんてことが書いてあり、 実際、呼吸を意識できるようになれば書いてあることも実践できるのですが、 この辺がよく分からないという人も多いでしょう。

そういう場合は、ニューアースよりもOSHOの 「チェーンスモーキングが止められません」という対話の方が分かりやすいので、 ここにURLを載せておきます。

http://www.osho.com/ja/read/featured-articles/body-dharma/beyond-habits

上の内容を私なりに抜粋すると、以下の通り。

  • 禁煙は美徳ではなく、喫煙は汚いが罪ではない。私が保証しよう。
  • 気づき(意識)が美徳であり、気づきのなさ(無意識)が罪だ。
  • 本当の問題は習慣にある。どんな習慣であれ、習慣はすべて悪いものだ。
  • 生は絶えず変化しつづけている、それは流動だ、そして習慣は停滞している。
  • 習慣に取り囲まれるほど、あなたはいっそう生に対して閉じてしまう。
  • ひとつの強制力となる、あなたへの支配力となる習慣はすべて罪だ。

こんな風に「行動が何であろうと、無意識の内におこなえば悪、意識的におこなえば美徳」と、 ニューアース9章のようなことが書かれていて、

  • 自分の命について本当に何かをしたいなら、タバコをやめても役には立たない。
  • 頑張って習慣を落とそうとすると、さらに習慣のパターンにハマる。
  • 努力して禁煙に成功しても、物足りなさから代替物を探すだけで、エゴもさらに強化される。
  • 好きなだけタバコを吸いなさい、ただし、瞑想的にタバコを吸うこと。
  • 瞑想的に茶を飲む茶道があるのだから、瞑想的に煙草を吸う方法があってもよいはずだ。どちらも同じ刺激物だ。
  • 喫煙は罪ではないから、よくそれを見なさい、自分の動作のいちいちを見つめなさい。

なんて、喫煙者が喜びそうなことが書かれていて、

とてもゆっくりと動けるように、自分の動作を細かい部分に分割しなさい。 するとあなたは驚くだろう、喫煙を見守ることによって、だんだんと喫煙の回数が減っていく。 そしてある日突然…それは去ってしまう。あなたはいっさいそれを落とす努力をしなかった。 それはひとりでに落ちていった。

というのも、死んだパターン、決まった動作、機械的な習慣に気づくことで、 あなたは自分のなかに新しい意識のエネルギーをつくりだし、解き放ったからだ。 そのエネルギーだけが助けになる。他のなにものも助けにはならない。

以上のようなことが書かれております(感想や解釈は各人に任せる)。

「これは喫煙に限らず人生の全てに当てはまる」とは本文に書かれている通りで、 冒頭にも「なんであれしていることをやりながら、その目撃者にとどまるなら、 ただちにそのしていることの質が変わる」と書かれており、 私としてはニューアースよりもこちらの方が断然分かりやすいという印象を受けました。

ここで何が言いたいのかというと、Q&Aのような対話形式においては、 ニューアースやPowerOfNowよりもOSHOやガンガジのような インド系?の方が圧倒的に分かりやすいとかトークが上手いとか英語版も読みやすいとか、 そういう些細なことではなく、

言葉とは限定的なものなので、ニューアースを絶対視せずに色んなものを読んだりしましょう、 知識を詰め込んでエゴを肥大化させるのでなく実際に体験してみましょう。 (だからといって大金支払ってインチキセミナーに行くのはNG。 セミナーなんかよりも日常生活での体験の方が余程有意義だし役に立つ)

無理矢理行動を変えたりするのではなく、 自分が何をしているかを意識しましょう。観察しましょう。 (これは三者の話に共通して出てくる)

ということです。

以上、引用とか多かったけど今回はここまで。

次回に続く>>

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