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解説まとめニューアース2017 10章 最終回

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長かった解説ニューアース2017も、今回でついに最終回。

あれも書けばよかったこれも書けばよかったという思いもありますが、 それは次回以降に書けば良いことだし、

2013年から書き続けてきたニューアースの解説ですが、 4年経ってやっとマトモなものが書けるようになった、 やっとスタート地点に立てたというのが、今の正直な思いです。

そんなわけで、今回のテーマは「目覚めるとどうなるか」について。

目覚めた人の行動

まずは、目覚めると行動はどうなるか、というお話。

エゴの支配に気付き、「今」という宇宙が形になって現れた空間と調和すると、 「宇宙の知性が私を通じて形の創造をおこなう」とのことで、

「いまや意識は、形の中で自らを失うことなく形を創造することが可能となる。 意識は形を創造し体験しながらも、それに対する気付きを失わない。 私の身体を通じて意識が発現し、行動の目的が、行動に流れる意識そのものになる」

なんていって、目覚めるとずいぶん御大層な状態になるようです。 (行動した結果はどうなるんだという話は、前回書いた通りで「放っておけば良い」)

続いて「3つの行動パターン」というものが書かれていて、 この3つ以外はすべてエゴによる機能不全の行動とのこと。

  • 受容する:生命のエネルギーをこの世界に流入させる方法の一つ。 「たった今、この状況のこの瞬間に私がしなければならないことだからしよう」ということ。 受容すると安らかな気持ちで行動できる。エゴが考える正解(抵抗や正当化)とは真逆。
  • 楽しむ:人生の焦点を今の瞬間に置く。 「この行動は楽しくこの行動はつまらない」といった、行動の種類によって違うものではない。 本当に楽しいのは、行動ではなくそこに流れ込む深い躍動する生命エネルギー。 その生命エネルギーは私と一体であり、行動の中に流れる生命エネルギーのダイナミックさが楽しい。
  • 情熱:楽しむ+目標やビジョンの要素。 ある日突然、自分の外部的な目的を知る。自分の思考だけで動いていないと感じるようになる。 「情熱」とは、心の中のビジョンを物理的な次元に移し替える力。 ビジョンは、心と感情のレベルで既に現実になっている必要がある。 「祈り求めるものは全てすでに得られたと信じなさい。そうすればその通りになる(Mark11:24)」

以上のようなことが書かれているのですが、 「俺は目覚めた!だから受容、楽しむ、情熱のどれかで行動しなきゃいけないんだ!」 などという強迫観念はエゴによるもので、目覚めでも何でもないただの無意識状態だということは、 今まで散々書いてきた通りです。

ここで私事ですが、自分は本書に沿った意味での「情熱」の状態で、 何かをおこなったことがあるだろうか?と考えてみたとき、 何も浮かんできませんでした。

東大入試の試験本番の際は、確かに何かに身体を動かされているような感覚はありましたが、 「東大合格!」というビジョンは心の中で明確になっていたとはいえず、 半ばヤケクソ状態だったし、

当サイトを続けて現時点で5年くらい経ちますが、これもまあ書いてて楽しいからやっている感じで、 何らかの熱意はあるけどかなり適当にやっているため、 本書で述べられている「情熱」という程でもないというのが現状です。

あと、思いつきで色々書いてますが、 これがインスピレーションなんていう大層なものかも分かりません。

「私は東大の試験時に情熱を燃やしていたから合格できたんだ!!」 「私は情熱を燃やしていたらから優秀な成績(えっ!?)で東大を卒業し、 ブラック企業から脱出できたんだ!!」 「私は当サイトの作成に情熱を燃やしています!!私のビジョンは”人類救済”で、 私はサイトを通して人々を無意識状態から解放したいのです!!!1」

なんて言えば良いのかもしれませんが、 そんな大嘘はとてもつけないし、結果は二の次だと本書にもかかれているし、 そもそも何で「受容、楽しむ、情熱」なんてカテゴライズしちゃったんだろう、 これって著者の個人的体験なんじゃないの、適当でええやんか、などと思っているのが正直なところです。

まぁ一つ明確なのは、こういうのも 「よ〜し、頑張って受容するぞ!楽しむぞ!情熱を燃やすぞ!」 とかいって実践できるものではなく、自分のエゴやら何やらに気付いていく中で、 自然とできるようになるものだと私は思います。

新しい意識の担い手たち&ユートピア

次に、目覚めて行動していると、一体どうなるのでしょうか。

意識に目覚めていると、「努力」といったものを必要とせず、極めて創造的になるようですが、 そのような行動をしていると、人はどのような状態に置かれるのでしょうか。 望み通りの人生が送れるのでしょうか。

それは本書の最後あたりに書かれていて、

「使命に目覚めた人、そのままの人、目覚めは人それぞれ。 目立たない人、内向きの人、社会の底辺で生きる人もいる。 ただ、彼ら共通の目的は、全てのことを”聖なるやり方”でおこなうこと」

簡単に言うと 「目覚めのタイミングもその後の状態も、ぶっちゃけると人それぞれ。 ただ、行動の目的が行動そのものになる」とのことでございます。

こんなの読んだら、 「何だこれは!!散々引っ張って長々と説明した挙句、 オチは”人それぞれ””底辺でおk””禅坊主のマネゴトをしなさい”ってどういうことだよ!! 人生が好転して望み通りになるんじゃないのかよ!!」 なんて思う人が殆どでしょう。

それに対する1つのアンサーが、最終章の「新しい地はユートピアではない」であり、

「望み通りの人生=ユートピア」は、エゴが作り上げた「未来に」起こるかもしれないインチキな理想郷。 救済を「未来に」求めていて「未来に」起こるので、救済は死ぬまで起きない。

救済が起きるのは思考や時間を超越した「今」だけ! 何が起きていようが、何を考えていようが、「今」がそのときだ!!

真のユートピアはたった今、そこに在る。

ということではないでしょうか。

以上、私なりにまとめると、

  • 今までの人生で作り上げてきた「定義付けされた私」に気付きましょう。「私の物語」を語るのをやめましょう。
  • 人生は「今」だけ。「今」がスタート。「今」の行動が人生の目的。 人生の成功は「今」の行動の質による。宇宙とつながれるのも「今」。全てを体験できるのも「今」。
  • 何を考えても自由だし、それでいい。 ただ、その思考は私ではないことに気付け。その思考に囚われそうになることに気付け。
  • 何をしても自由だし、それでいい。 ただ、その行為に(宇宙,生命)エネルギーを込めよ。身体と行為の中を流れるエネルギーが、 形を創り出していることに気付き観察せよ。

という感じになりますが、これらも「今今」などという強迫観念に駆られてやるものではなく、 エゴの作り出したイリュージョンやら衝動やらペインボディやら何やらに気付いていく過程の中で、 自然とそうなるものだということです。

最後に、こういう系統の本は、 宇宙や生命がなぜ存在するのか、宇宙や生命がなぜ誕生したのかといった、 いまだ人間の頭では分からない謎があるから成り立つのであって、

宇宙の誕生、生命の誕生、万物の存在およびその存在理由等が全て数値化、 数式化されて客観的に計測可能になれば、 こういう本やひいては宗教や哲学なんかも必要なくなるのだろうと妄想するのですが、

私が生きている間にはおそらく無理だろうからあまり考えないことにして、 今日もネットで下らない動画を見てはバカ笑いしている次第でございます。

一旦オシマイ。追記があれば書きます。

追記に続く>>

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