何もしなかった高校時代 ニートから東大合格への道その2

前回の記事:最低の高校時代 ニートから東大合格への道その1

Q大の赤本を買い、進研ゼミのレベルを全部MAXにしたのですが、

やる気が出たのは赤本を買ったときだけ、レベルMAXにした時だけで、 いざやろうとしても、訳が分からずやる気をなくし、 そのままズルズルと明日へ明日へと先延ばしすることをしていました。

そもそも、私が勉強をして「楽しいなぁ」と感じることができていたのは国語だけで、 数学や物理など「不快感」しか感じていませんでした。

そんな私がいざQ大の赤本やレベルMAXの進研ゼミをやろうとしても、 「不快感」がさらに増加してストレスが溜まるだけだったのです。

それならさっさと文系にチェンジすれば良かったのですが、 「理系以外はマトモな就職先が無い」と洗脳されていたし、 「オレには数学のセンスがあるんだ」と自分を無理やり偽っていたので、 高校1年の2学期にして、もう手遅れの状態でした。

今だと、高校1年の時から赤本なんて眺めなくていいし、 Q大なんて進研ゼミのレベルをMAXにしなくても、 基本を適当にやってりゃ合格する程度の大学なのに、 何をそんな大層に考えていたのだと思うのです。

が、まぁそれは後から分かることで、当時の私は

「Q大こそ至高!Q大に受からなきゃ生きている意味が無い! でもQ大の数学や物理分からない…」

「基本なんてまどろっこしいことやってたら、 あっという間に3年になり、受験本番になるんだ!」

「入試レベルの問題が解けるなら、基本問題だって解けるようになる! でも、入試レベルの問題、特に数学なんてやる気がしない…」

というような、非常に偏ったというか、情けない考えをしていました。

簡単に言うと、結果を焦り 「Q大に行きたい、でも数学や物理やりたくない」 「入試レベルの問題を解きたい、でも基本はやりたくない」 という、何とも自分勝手なことを考えていたのです。

そしてさらに悪いことに、結果を焦るあまり、 基本をすっ飛ばして、手っ取り早く成績を上げる勉強法はないものかと、 「インスタントラーメンのような勉強法」を求めて勉強方法の本ばかり読んでいました。

勉強法の本を読んで、一時的にやる気が起こり、 実際に勉強をやろうとするのですが…

授業はマジメに聞いてないし、基本をやっていないし、 やろうとする問題集は進研ゼミMAXや「難問題の系統とその解き方」なので、 さっぱり分からずにすぐにやる気を失い「なんだこの勉強法は!!欠陥品だ!!」と腹を立てていました。

何もしなかった高校時代 高2

自己弁護をするわけではないのですが、 私が高校生だった頃の勉強法本は、 「志望校に受かりたければ、基本的な問題からやり続けろ」という本音は書かれておらず、

その代わりに、 やれ「物理は難問題の系統とその解き方が良い」だの、 やれ「数学は赤チャートが良い」だの、

開成や灘の連中からしたら当たり前かもしれないけど 私のようなヘボ高校の人間にはちっとも当たり前じゃない勉強法が、 「落ちこぼれのための勉強法」などという大嘘でもてはやされていたのです。

今ならインターネットもありますし、 「こんな本を買って得するのは、オレじゃなくて著者の方だ!」 とすぐ分かるのですが、当時の私は読解力の無い馬鹿だったので まんまと騙されてしまいました。

それはともかく、当時の私は 「勉強本なんて読んでも、実際に問題を解かないと成績は上がらない」 ということにすら気付かない程のマヌケだったのでした。

2年に上がっても、理系の洗脳は解けずに理系クラスに入り、 嫌々授業を受け、数学や物理化学の教科書を眺めて、 定期テストだけは一夜漬けでなんとかしのいでいました。

一夜漬け以外の時間は、勉強などするわけがなく、 教室では時間を拘束される苦痛に悶えているか、 それとも現実逃避の為に寝ているかのどちらかでした。

また家でも、勉強本を読んで「勉強した気分」に浸るか、 ラジオを聞きながら 問題集や教科書をボーっと眺めたり、パソコン(PC98 Win3.1古い!)で 「信長の野望 覇王伝」とかをやったりして、 本当に勉強と呼べることを全くしていませんでした。

しかしロクに勉強していないクセにQ大への欲望は人一倍強かったのです。

勉強方法の本を読みながら、Q大に受かった時の自分を妄想して ニタニタしておりました。

問題集の隙間に隠していた、 全く手を付けていないサラピンの進研ゼミ(難易度MAX)が親に見つかり、 進研ゼミを止めさせられたのも、丁度高2の時でした。

成績も下から数えた方が早いほどだったのですが、 そこまで追い詰められ、尻に火が付いた状態でも 「まぁQ大に受かれば、こんな生活ともオサラバだろう」 などと考えていました。

やらなきゃQ大に受かることがないのにです。

友人など1人もおらず、休日は何をして過ごしていたのか、 今では記憶にすら残っていません。(別にいなくて良かったけどin2015)

そんな何もしない高校生活を、私は送っていたのです。

こんな風にはなるな

よく「人生で起こることには全て意味がある」 と、自己啓発本などには書いてあります。

私の高校生活にも何らかの意味があるのかもしれませんが、 私にとっては意味などどうでもよく、ただただ下劣、 「ゴミのような高校生活」だったと思うのです。

それが何故、私が恥を偲んで?自分の高校生活を ここに書いているかといいますと、

ということが言いたいからです。

そんなこんなで、全く充実していない高校生活を 送っていた私は、自分を偽ったまま、 ついに高校3年生、受験生となるのです。

全滅の大学受験 ニートから東大合格への道その3に続く。

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