大学中退親バレと家庭内暴力

もっと早くやっておけば良かった

ニート脱出記9 まさかの転換期編

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オフ会

緊張しながらオフ会の主催者にメールを送った後、 すぐに返信が来て、 そこには「×月○日の△時に、梅田駅北口で待っています」 と、書いてありました。

どうやら主催者さんは冗談ではなく本気らしいのです。

大学とバイトで挫折⇒人を避けて引きこもるる⇒人と話さなくなる ⇒人の目が気になる⇒さらに引きこもる⇒ネット依存による思考の歪み といった過程により、対人恐怖に陥っていた私は

「このオフ会は釣りで、待ち合わせ場所で待ちぼうけを喰らっている俺を カメラで撮って晒す気なんじゃないだろうか。」とか、 「もしも恐い人が来て、金を要求されたらどうしよう」 などといった不安があったのですが、 その時はその時と覚悟を決め、行ってみることにしました。

オフ会当日、安定剤を飲んでビクビクしながら梅田駅北口へ行ってみると、 主催者とおぼしき背の高い男性が1人、目印を持って立っていました。 「あ、あの人だ!なんだ普通の人じゃないか」 と思って安心したのですが、中々近づいて声をかけることができません。 5分くらい付近を徘徊した後、「ここで引き返したら人生終わる!」と思い、 そろりそろりと近づいていき、思い切って「あの」と声をかけました。

たかがオフ会に参加して、待ち合わせ場所で声をかけるだけのことであり、 今考えると「ちょっと大げさすぎないか」とも思うのですが、 当時の私にとっては、もの凄く勇気のいることだったのです。 結局5人集まって、ファミレスでお茶を飲んだ後 居酒屋で酒を飲みながら自分たちの置かれている境遇について話しました。

およそ2年ぶりに人とマトモな会話をしたので、 緊張していて何を話したのか良く覚えていませんが、 勇気を出してオフ会に参加したこの日が、 最悪の状態から抜け出す転機だったように思えます。 その後も、引きこもりのオフ会に何度か参加して、 私の対人恐怖症は徐々に薄れていきました。

とうとう親にバレた

ネット依存と対人恐怖は薄れていったのですが、 問題がまだ2つ残っていました。 ヘボ大学(当時の印象)に籍を置いたままの問題と、 酒を飲まなきゃやってられない問題 の2つです。

ニート始めてから2年過ぎ、4年になった頃、 親から「就職活動はどうなっているか?」という電話が来ました。 そうです。本来なら4年生なので、就職活動をして、 どこかの企業に内定していなけりゃいけないのですが、 今何年生かなんて関係無い私は、そんな事すっかり忘れていたのです。

こうして、2年の途中から大学に行っていないことは、 あっさりと親にバレてしまいました。 電話口で母は「家に戻ってきなさい」と静かに言いました。 「こんなことがバレたのに、やけに静かだな」 と一抹の不安をおぼえたのですが、 「両親もオレの気持ちを分かってくれるようになったのかなぁ」 と楽観的なことを考えながら、新幹線で帰省しました。

実家に帰った私を待っていたのは、両親からの罵詈雑言の嵐でした。 安定剤を飲みながら耐えていたのですが、 帰省して3日目の昼下がり、両親はどっかに出かけて 私1人が実家の居間でボーっとしていた時、 「思えば、二十年近く親からの虐待に耐えてきたばかりで、 一度も反抗らしい反抗をしたことなかったよなぁ」と、ふと思い、 台所と居間の壁に蹴りで穴を空けて、 花瓶や電話が置いてある居間のテーブルを「ちゃぶ台返し」でひっくり返し、 食器を床や戸棚に叩きつけてガラスまみれにした後、 そのまま荷物をまとめて京都に戻りました。

それ以降、両親の私に対する虐待は止まりました。 「悪いことをしたなぁ〜」というよりも、 「高校生の頃とか、もっと早い時期にやればよかった」 「バットとか使って、もっと派手にやればよかった」という思いでした。

というわけで、両親はもはや恐怖の対象ではなくなったので、 大学に退学届けを出しに行きました。 よく知らない担当教授の部屋に行き、形式ばった引止めを受けた後、 書類に承認印をもらいました。 それを教務課に提出して、晴れて私はフリーの身となったのです。

次回に続く>>

<2015年追記>
こんなことも書いていたんだ、ああ恥ずかしい。 こんな人間が、今じゃ部下に対して偉そうな口利いてるんだぜ。 人間変われば変わるもんだと思ってしまいました。 ちなみに家はリフォーム前だったので、 私の暴力の跡は残っておりません! リフォーム前にぶっ壊してよかったね(他人事)

なお、今オフ会行けと言われても、そんな歳でもないし、 面倒なので行きません。100万円くらいくれるなら行くけど。

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