学校の勉強は役に立つのか

立つのもあるし逆も然り

勉強をする理由2

前回、 「勉強する目的は、価値観を多く持ち、自分の現実を広げて チャンスを掴む機会を多くする」ということを書きました。

ただ、文章を読み返したら、具体性に欠けるので、 (一般化させて書こうと試みた結果なのだが) 今回は少し具体的に書いてみます。

今回は現代日本人が避けて通れない、 学校で習う教科を勉強する目的、意味について、 私なりの考えを述べてまいります。

あくまで私の意見なので、どの様にとらえるかは これを読まれているあなた次第ですが、「勉強する意味がわからない」 「何のために勉強するのかわからない」という中学生、高校生、大学生や その親御さん等の参考にでもなればと思います。

国語(言語能力と思考能力)

幸か不幸か、日本人として生まれたからには、日本語を使用して 生活していかなくてはなりません。 ネットの記事や本を読む時、人と会話する時やテレビを見る時など、 日本で生きていくためには、日本語によって情報を収集、 発信していかなければなりません。

さらには、収集した情報を元に、自分の内面で思考する時、 大抵の日本人は日本語を使用して思考することになります。 無理すれば英語で思考できないこともないですが 私レベルの英語力しかない場合は 「I think my life must be...え〜と何だっけ?」 という風になってしまいます。

で、何が重要なのかというと、 言葉を媒介とする情報が氾濫している現代社会においては、 身に付けている言葉の量や質、つまり言語能力とそれに伴う思考能力が、 その人間の質を決定付ける一面となる、ということです。

人間は言葉を用いないと、複雑な情報伝達などできないし、 言葉を用いないと、複雑な思考などできないからです。

考えてみてください。 私は偉そうにこんな文章を書いていますが、 私にもっと言語能力、思考能力があれば、もっとシンプルに分かりやすく みなさんの心を打つ文章を書けるでしょう。

私にはこの程度の言語能力と思考能力しかないので、 今のところこの程度の文章しか書けないのです。 つまり、現在の私の情報伝達能力や思考能力は、この程度 ということになるのです。

また、「マジやべぇwww」とか「フヒヒwwパネェパネェ」というような 言葉しか使えない人達―センター街やコンビニ前にたむろしているような人達は、 その程度の質ということになるのです。 (最近はFラン大学でもこの程度だそう。やっぱ大学行くなら良い大学行った方が良いわ)

さらに、この世界では同程度の質の人間が集まる傾向があります。 俗に言う「類は友を呼ぶ」というやつです。 あなたの身の回りを見てください。 あなたと同程度の人間が集まっているでしょう?

それに満足されているのなら、大変結構なことなのですが、 もし、自分が今置かれている状況に不満があるなら、 まずは自分の「人間としての質」を変えなければならないのです。

そして、人間の質を変えるための第一歩が、 「国語を勉強することによる、言語能力と思考能力の向上」 ということになるのです。

とまぁ、小中高の国語教師がションベン漏らして喜びそうなことを 書いてまいりましたが、私に言わせると小中高の国語を教える教師に 国語という教科を教えることができる程の言語能力、思考能力があるとは とてもじゃないが思えないのです。

私自身の経験からもそう思いますし、学校で実際に行われている、 クソ面白くない国語の授業をみれば、その程度は一目瞭然でしょう。 (国語の授業なのに、何故か左曲がりの思想を押し付けてくる教師もいるし)

まぁ公立校の教師の第一目的は、生徒に知識を与えて人生を変える手伝いをすることでなく、 定年を無事に迎えることなので、仕方ないといえば仕方ないし、 学校の授業に不平不満を言っても何にも始まらないので、 これを見ている人たちは、学校の授業に頼らず 自分の責任において国語力を身に付けていきましょう。

小学校時:文章アレルギーを無くす。
中学校時:要約力を鍛える。
高校時:行間を読む力、表現力を鍛える。

こんな感じで良いと思うのですが、 私のように惰性で色々な本を読み続けていても 人並み以上の国語力は自然と身に付いてくるものなので、 まずは何でもいいので、自分に合った本を読んでみましょう。

国語力を向上させていけば、言語能力と思考能力が向上し、 独学で東大合格するくらいの学力を身に付けることは可能になります。 (なんて無責任なこと書くんだin2015)

算数・数学・物理

国語を長々と書きすぎてしまったので、 算数・数学と物理をひとまとめで書きます。

そもそも、私の数学と物理に対するアレルギーが消えたのが 東大に入ってからというザマなので、 国語と比べて偉そうなことはあまり書けません。

数学と物理、というより自然科学全般を一言で表すならば 「概念や現象の抽象化」 ということになるのではないでしょうか。

数という概念を抽象化させて表現したのが数学であり、 数学の手法を用いて落下や放熱といった現象を 抽象化させたのが物理だと、私は考えます。 (この事に遅まきながら気付いたのが、東大に入って 気が狂いそうになりながら哲学書を読んでいた頃でした。)

よって、算数・数学や物理を学ぶ目的は、 「抽象化された概念や現象を理解し、応用すること」 ということになります。

抽象化された概念を理解し、応用できるようになれば、 例えば自分の意見を発信する時も、この文章のようにダラダラと書かず、 理路整然とした文章が書けるようになるでしょう。

抽象化という行為自体が、概念や現象を、 理路整然とさせるものだからです。 内面の思考においても、私の内面のようにカオスではなく、 理路整然としたものになるのではないでしょうか。

国語力と数学力を身に付ければ、相乗効果で 人間の質がグ〜ンと高まっていくと思うのですが、 私の場合は数学力がお粗末なため、相乗効果を実感できません。 まぁ「お粗末」とか謙遜しながらも、何年も経理をやっているので、 数学力ならぬ「算数力」くらいは身についていると思います。

算数力を身に付ければ、「数字」や「お金」といったものに実態は無く、 それらは全て「概念の世界のもの」であるということが、頭でなく体で 実感できるようになります。

「それが何の役に立つんだ」と言われればそれまでですが、 金持ちになるためには、「お金は実体の無い概念である」 という認識が必要だと「金持ちになる方法」の類の本に共通して 書かれているので、その辺の認識は必要みたいです。

というわけで、理路整然とした思考力を身に付けたいなら数学を勉強し、 この世の現象を解明したいなら数学を勉強した頭で物理学をやれば良いでしょう。 金持ちになりたいとか金の計算程度なら、算数で充分だと私は思うのですが、 これは数学ができない人間の、単なるひがみです。

英語

英語が読書きできるようになると、英語の情報が入手できるようになります。 その結果、自分の世界が広がります。 勉強する目的が一番分かりやすい教科でしょうし、 自分の世界や現実といったものを広げるのに、一番効果的な教科でしょう。

ただ、私が思うのは、もし「英語圏で知識階級を目指したい」 という人がいるならば、まずは国語を勉強して、言語能力と思考能力を 最低でも大学入試レベルまで鍛え上げた方が良いということです。

幼少期から英語圏で暮らしているのならともかく、 日本でずっと育ったのに日本語すらマトモにできない日本人が、 ハーバードやMITなどの大学教授レベルの英語論文を 理解したり要約したり、または書けるとは、とても思えないのです。

日本語を使いこなせる言語能力や思考能力を持たない日本人が、 英語になったら言語能力や思考能力が格段に向上するといったことは、 まず無いのです。 (最先端の教育と称する秋田ナントカ大学の人間が東大生に劣るのはこのため。 才能の違いが一番かもしれないが。ちなみに東大英語の教科書の内容は上記論文)

対して、英語圏で日常生活を送る位ならば中学校からの英語で充分であり、 英語云々よりも、むしろ正すべきは、日本人に根付いている 「失敗に対する異常なまでの恐怖心」 「周囲の目に対する異常なまでの恐怖心」 といった性根の方だと思うのですが、いかがでしょうか。

まとめ

私なりの各教科に対する思いを書いてきましたが、疲れました。 具体的に書こうとして、何だかますます訳が分からなく なってしまいましたが、私の表現力がその程度ということです。

色々書きましたが、何に関心を持って勉強するかは、 これを読んでいるあなた次第です。

「国語やる!」大いに結構、「数学やる!」大いに結構、 「五教科は嫌いなので音楽やる!」それも大いに結構、 「学校の勉強なんて嫌いだから、料理人になる!」 それも大いに結構です。

ただし、やるからには、すぐ投げたしたりせずに、 「身に付いた」と実感できるまで、やり続けてください。 「身に付いた」と実感できれば、あなたの前に新しい世界が開けますし、 他の何かをやる場合にも、自分の身に付けたものが、何らかの形で、必ず役に立つのです。

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