受験戦争万歳!!

やられても生き返るわぁ〜

受験戦争は存在するか

「受験戦争」という言葉が生まれたのは、 高度経済成長期の1950年代位からだそうです(多分)

私はその当時、まだ生まれていなかったのですが、 いつも「受験戦争」という言葉を聞いて思うのは、 本当に「受験戦争」なんてものは、存在するのか ということです。

だって…「戦争」ですよ?

私は“映画の中の戦争”しか知りませんが、 「プライベートライアン」や「ハンバーガーヒル」 のような、実際の戦争と受験戦争とを比べてしまうと、 受験戦争の方は、「何が“戦争”だよ」と言いたくなる程の レベルだと思うのです。

私がそう思ってしまう理由は、以下の通り。

やり直しのきく「戦争」

実際の戦争では、戦地に赴いてヘマをすると、 命を落としてしまい、二度とやり直しがききません。 たとえ命が助かっても、失敗をすると 手足を失ったり酷い怪我をしたりと、 肉体的に大ダメージを受けてしまいます。

それに対して受験戦争の方は、 ヘマをしても合格が1年間先延ばしになるだけ です。 不合格だったからといって、それだけで 命を失ったり、酷い怪我をしたりなんてことは 絶対にありえません。 肉体的なダメージといえば、腱鞘炎になったり 視力が落ちたりする程度のことです。

「受験戦争」において失敗しても、 再び立ち上がってチャレンジできますし、 再びチャレンジすればいいだけのことなのです。 失敗しても、やり直しがきくのが受験だと思うのです。

幼稚園の受験戦争に敗れたら、小学校で、 小学校の受験戦争に敗れたら、中学校で、 中学校の受験戦争に敗れたら、高校で、 高校の受験戦争に敗れたら、大学で、 大学の受験戦争に敗れたら、 浪人したり、再受験したりすれば良いだけの話です。

命が無くなる訳じゃないので、何度でもやり直しはきくのです。

流れ弾に当たっただけでも「ハイそれまでよ」の戦争と比べたら、 受験を「戦争」と呼ぶのは、あまりにもおこがましいと思います。

やれば誰でも英雄に

もう一つ、受験が戦争と違うところは、 受験では、 勉強すれば誰でも英雄になれる、 ということです。

実際の戦争で英雄になるには、敵と戦い 敵を多く(100人くらい?)倒さなきゃいけません。 しかし、受験では他人の命を奪うことをしなくて良いし、 他人の足を引っ張るマネをしなくて良いし、 ただ、淡々とやり続ければ、誰でも英雄になれるのです。

誰とも戦う必要はありません。 強いて戦う相手が存在するというなら、 自分の中の怠け心や不安感、誘惑くらいのものです。 他人と戦わず、一人相撲だけで英雄になれてしまうのが 受験だと私は思うのです。

社会の風潮みたいなもの

では、受験と戦争に共通点はないのか と考えた時に、私が真っ先に思いつく共通点は、 受験も戦争も、「社会の風潮みたいなもの」によって、 何かよく分からないうちにやらされている ということです。

まぁこれは、受験や戦争に限らず、 お金、労働、美意識など、 社会の大方のものがそうです。

で、その風潮に逆らおうとすると、 ガリレオ・ガリレイやモハメド・アリみたいに 酷い目に遭ってしまうのです。

これ以上は長くなるので止めときますが、 受験生の皆さんは、 自分は一体何の為に受験するのか、 自分は、自分の意思で受験勉強しているのだろうか なんてことを、少しは考えてみてはいかがでしょうか。

考えたところで、どうにでもなるって訳でも ないかもしれませんが、 それを少しでも考えてみた上で、受験に臨めば良いと 「社会の風潮みたいなもの」に流され続けてきた私は思います。

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