前回の記事:第3章九節から十節
エゴの「抵抗」について色々書かれた3章も今回で終わりで、 しかも今回は既出の内容ばかりで、わりかし軽めです。
ここまでの対策を簡単にまとめると、
ということになります。 (その「気付き」こそが「今に在る」だという理論とかは、 自然に分かるようになるので置いといてよい)
ただし!
「『他より優れたい』という思想は危険思想だ!粛清せにゃ!」 「『思考=自分』という無意識は諸悪の根源だ!滅ぼさなきゃ!」
などとやると泥沼化するので、 ただ「気付くだけ」にしようというのは今まで書いてきた通り。
まず十一節。今まで散々語られてきたことなので、 今更という感じがしなくもない内容。
「どんな形をとるにせよ、どんな形と同一化するにせよ、 エゴの奥には思考による『幻の自己』を強化したいという衝動がある。 目立ちたい、チヤホヤされたい、力が欲しい、強くなりたい!、もっともっと欲しい… 常に他人や状況等に何かを求めている」
「何でこんなことするのか?思考に乗っ取られ『源』『存在』とのつながりを忘れているので、 エゴは『まだ充分でない』『自分が何者だか分からない』という欠乏感に苛立ち、 不安を感じ、そして自分が存在しなくなるという『死の恐怖』を常に感じているから」
こんなことが書かれていて、
ここに書かれている通りエゴは自己を強化するために奮闘するのですが、 たとえ人や状況を利用してエゴの欠乏を満たすことができても諸行は無常なため、 その達成感、満足度はあくまで一時的なわけです。
実際、私が東大合格した際も喜びなんて数ヶ月も続かなかったし、 もし嘘だと思うなら東大なり京大なりに行って 「合格した時の達成感や喜びはいつまで続きましたか」 と学生に聞いてみりゃ良いし、
就活の末、希望の会社や職業に就いてもその喜びが数ヶ月も続かないというのは、 社会人の方ならよくご存知でしょう。 (そもそも、働きたくて働いている人間なんて殆どいない)
このように、エゴによって何かを達成しても 「望みを達成したのに何でこんなことになるんだ!!」 と、理想と実態の差に苦しむことになるのですが、
何らかの形は必ず変化し、 その形と同一化していると変わるのは当然のことだし、 エゴも「諸行は無常である」ということはどこかで分かっているのですが、 認めようとしないのが現状だからであります。
なので、
ということなのですが、 「形を超えた私に気付くぞ!」「すべての形は不安定だ!」と頭で無理矢理やっても無駄で、 これもやはり、形に囚われ苦しんでいる自分に気付いていくのが一番の近道です。
お次は十二節で、まず書いてあるのは、
とのことで、これも今まで書かれてきた通り。
加えて、当節では普段見過ごされてしまう「エゴの微妙な形」について書いてあり、
誰かに最新のニュースを教える場合 「俺は知っててお前は知らない。俺の方が多くを知っている。俺の方が優れている」 という優越感が出ていないか、観察して気付けということが書いてあります。
それが最新ニュースだろうが学問の知識だろうがゲームの隠し技だろうがネットのネタだろうが最早何でも良く、 そして、その相手が王様だろうが乞食だろうが社長だろうが平社員だろうが誰でも良く、 「他人より多く」で優越感を感じ、
逆に「他人より少ない」と劣等感を感じると、 相手が誰であろうが、何とかして相手を批判し貶めようとする構造に気付こう、 というわけであります。
※「他人を批判すれば自分が上に立った気になれる」というのは、 本章で散々挙げられた主題の一つ。 実際は上に立つどころか、批判している当人がさらに惨めになるだけなのだが。 美人を批判しても美人にはなれないし、 金持ちを批判しても金持ちにはなれないし、 東大卒を批判しても東大卒になれないのが良い例。
あとしつこいですが、注意してほしいのは、 別に「優越感や劣等感を滅せよ」「他人を批判するのを止めろ」と言っているのではなく 「優越感や劣等感を感じ、批判をしている自分に気付け」と言っていること。
無理に押さえつけようとしても逆効果なので気付くだけで充分だし、 本当に気付けば、 思考に囚われた「自分」が如何に下らないことをしているか、分かるという塩梅です。
いよいよ3章も最終節で、当節は半ば4章への導入となっております。
「有名人の名を借りて自分を大きく見せようとする」という現象は、 広告業界では常套手段で、
他ならぬニューアース日本語版の帯にも、 「ジムキャリー愛読の書」「メグライアンも愛読した」とか最近は書かれていて、 「お前じゃい!」と言いたくなるのはここだけの話。 (著者ではなく日本の出版社が勝手に書いただけだろうが)
それはともかく、当節では有名人の事例が載っていますが、 大抵の人間関係というのは、頭で考えた自分、 つまりエゴの強化に使われており、
これは「あの○○と知り合いの俺はお前らよりも偉い」 というような有名人に限った話ではなく、
「俺の友人は外資のエンジニアや裁判官やテレビ局員や出版社や大手ゼネコンや官僚といったのばかりだ」 なんて言ってエゴを強化する奴もいて、 一事が万事「お前自身はどうなんだ」と言いたくなる感じなのであります。 (一体誰のことだろう)
このように、エゴイスティックな人間関係というのは、 相手を利用して自分(しかもインチキな自分)を強化するための手段に過ぎず、 そんなレベルの関係における状態というのは
以上の3つで、別に心の荒んだ?成人に限ったことでなく、 小中高生でも同様のことをやっているのは、 皆さんの小中高時代を思い出せば身に覚えがあるでしょう。
このようなことを書くと 「人間関係ってそうなのー? じゃあ真の人間関係って一体何なのさ!?」という話になるのですが、
当節では「エゴのイメージ作りや自分探しの支配を受けない関係」 「相手に何も求めていない関係」とだけ書いてあり、 詳細については次章に続くというわけです。
今回はここまで。次回から4章。
第4章一節から二節に続く。
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