「魔法という希望」を捨てられるか:感想『ガンガジとの対話』

前回の記事:感情を感情として体験する

対話形式が殆どを占める『ガンガジとの対話』ですが、 今回は対話形式ではない、一方的に喋っている記事を紹介いたします。

しかし、あんな素晴らしいサイトをこんなサイトで紹介して良いのか、 今時点でも気が引けております(お伺いを立てようにも連絡先が無いためできない)。

まぁ、某漂白剤兄貴も原作者に対して「ごめんね。」で済ませていたので、 私もごめんねで済めば良いなぁなどと願っております。

どんな嵐でも、現れた事象は必ず去っていきます

そんなわけで今回はこれ。

http://gangaji.jugem.jp/?eid=167

ここでいう「嵐」というのは、 別に外部の出来事だけでなく自分の思考や感情を含めた全て、 というよりも思考や感情こそがメインであり、 殆どの人間が「思考の嵐」の中で日常を生きているのは、 誰でも実感できることでしょう。

※嵐といえば私が幼稚園年少の頃、『嵐の中の子どもたち』という演劇を見る機会があり、 他の馬鹿なガキ共が騒ぐ中、私だけが食い入るように見ていた記憶がある。 私は幼い頃よりそういう子供だったのだが、 高卒の低学歴な両親にとってはそういう利口ぶったガキは生意気に思えたらしく、 散々殴られ価値観を否定され続けてきたというのは今まで書いてきた通り (それでも折れなかったのは褒めるところ)。 もし低学歴で無教養な両親でなく、少しでも教養のある親の下に生まれていたら、 ついでに田舎でなく都会に生まれていたら、 東大なんかより遥か上を行けていたのになぁと思ったりするのだが、 こうやって湧いてくる一連の思考も他ならぬ「嵐」そのものである。

また、「どんな嵐でも」とあるのも、 嫌なことだけでなく良いことも必ず去っていく、 要するに「諸行無常」であるということは、賢明な読者の方ならお分かりでしょう。

嵐はやってきては、やがて必ず去っていきます。それがこの惑星の法則です。

実験的に、自分ではどうにもできない物事がやってきたと仮定してみましょう。 あなたの人生にそのような出来事が今起きていないとしても、 単にそのように想定し、実験してみるのは有意義です。

『どうしようもない。もう何もすべがない』さあ、ここに、実は特別な選択があるのです。

あれこれ画策を巡らさず、単に静かにしている、という選択です。 どのような表現でもよいですが、私は「心を開く」という風に表現してみます。

静かにしていると、どのような事柄もやがて去っていくのがわかります。 現れた事象は、それがどのようなものでも、やがては消えていく。これが自然の法則です。

感情的なことも、精神的なことも、状況も、物理的な事柄も、すべては動きです。 この惑星の出来事はすべてが動いているのです。わき起こり、死んでいきます。

何分静かに座っていようが、時間にとらわれる必要はありません。 以前私は、瞑想をするためにタイマーを設定していたことがあります。 一体いつまで座っていたらいいのかしら、何分経ったのかしらと、 気になって仕方がなかったので、タイマーが知らせてくれるようにしました。 でも、タイマーを使ってみると、今度は、まだ終わらないのかしら。薄目を開けてみて、 あら、まだ5分しかたってない。タイマーが壊れちゃったのかしら。と気になり始めるのでした。(笑い) 20分座るなんて大変でした。 普段何気なく過ごしている20分間とは異なり、静かにしている20分間には、宇宙のすべてが現れてきますから。

実際には私たちは時間の制限から自由です。 100%今ここにいる。心を開いて、在る。今ここは永遠です。

私がお話ししているのは教義ではありません。 静かに座る時間を作らなければならないんだなとか、 どのくらいの時間静かにしていればいいのかなとか、 静かに座って事象を過ぎ去っていかせればいいのだなと、 教義のように考える方がおられますが、そのように考えると、 今度はそのこと自体が嵐となってしまいます。 判断したり、決めつけたりという精神的な嵐です。

嵐が現れようが、様々な状況が現れようが、静かにしていれば、過ぎ去っていきます。

どこにも動かずただ静かにする。そうすると、『常にここにあるのは何か』がわかります。

自分で選ぶことができない、現れては去っていく事象のもっと奥に、 自分では選ぶことができない、現れたり消えたりしない真実があると分かるでしょう。

ここでいう「静かにする」というのは別に座禅を組めということではないし、 「座禅を組まなきゃ」「△時間静かにしていれば効果がある」 「○○メソッドをしなきゃ」などといった決め事をすると、 それが新たな「嵐」になるというのは書かれている通り。

つまり、「あれこれ画策を巡らさず、単に静かにする」というのは、 上の私の例でいくと 「マトモな両親の下に生まれていればもっとマトモな人生だったのにぃいい!!」 といった憤懣やるかたない思いや感情、それに伴う身体の反応を、 避けようとしたり誤魔化したりすることなく、 そのまま全身で受け止めるということであります。

※だって、どんなに聖人ぶっても、出てくるものは出てくるんだから、 他にどうしようもないではないか。 「私は湧き出た思考や事象を(過去に遡って)なかったことにできる」 なんていうスーパーマンやヘルミッショネルズみたいな人間がいたら、 是非ともお目にかかりたい。

そうすると「マトモな両親云々」といった嵐は去っていくのが分かるという、 一見すると当たり前だけど、 字面だけ読むのと体験するのとでは大違いな真実に気付くのであります。

また、「時間の制限から自由」「今ここは永遠」という こういう系統の話で出てくる常套句については、

「存在」というものは確かに時間の制約を受けないし、 たとえ宇宙が消滅しても「今ここ」という存在はずっとあるのではないかと体感として感じるのですが、 まぁこの辺は人それぞれで良いでしょう。

※「存在」というのは身体や固体等の「状態」のことではない。 それらは単なる一形態に過ぎないので、 モロに時間の制約を受けて千変万化する。

「魔法という希望」を捨てられるか

続き。ここまでは「全ては去っていく」だったけど、 ここからは「全ては留めることはできない」みたいな話。

私たちは普段、現れては消えていく事象に気を取られ、そればかりを見ています。 ある事象を留まらせようと躍起になったり、 ある事象が二度とやってこないようにと奮闘していますが、疲れませんか? ヒステリーのようですね。いずれは笑えるといいですね。

私たちは人生のすべてを傾けて、絶対にできないことに力を注いでいます。 現れては去っていく事象を留めおくことなどできません。やってみてください。 もう充分にやってごらんになったのでしょう?それなら、もう一度やって、よくみてください。

「うん、やってみたよ。失敗したけれどね。でも今度は希望が持てるんだ。 違う方法を学んだからね。方法が間違っていたのかもしれないんだ。 決められた時間座っているとか、マントラを唱えるとか、何か違う方法があるらしく、 それを習得すれば、現れては去っていく事象を留めておくことができるらしい。」 そう思っておられるのなら、あなたは魔法を手に入れたいのです。

スピルチュアルな世界を探求すれば、 魔法に巡り会えるとお思いの方がおられます。 ある種のパワーはあるでしょうが、パワーが現れては消えていくのは、 精神世界も他の世界も同様です。

パワーを留めておく魔法を探しに精神世界に来られたならば、 魔法などはありませんと申し上げます。

何だか引き寄信者、 というか引き寄せやらスピリチュアルやらを人生の逃げ道にしている オバサンやオッサン連中が発狂しそうなことが書かれていますが、 事実は事実なんだから仕方ないね。

「ずっと良いことばかりが起きる」なんてとんだ嘘っぱちだということは言うまでもなく、 何が起きても「今」がずっと続くだけであり、 そもそも「良い」「悪い」などというのが頭の中の手前勝手な判断だというのは 何度も書いてきた通り。

これを読んでいるそこのあなたも

「この本を読めば新しい能力に目覚めるかもしれない」 「このサイトを読めば新しい力が身に付くかもしれない」 「このセミナーに参加すれば新しい人生が開けるかもしれない」

と思いながら日々過ごしているかもしれませんが、 それに対する回答は「そんなものはない」 であるのはお分かりでしょう。

※「魔法」といえば私的には『ツキを呼ぶ魔法の言葉』を思い出す。 実験した結果については以前の記事に書いた通り。 この記事でいう「魔法」とは「ずっと良いことが起きる」なので、 悪いことが起きたときに「ありがとう」と言う魔法の言葉とは何かズレている気がするし、 そもそもの話、いかに自分が「良い悪い」や感情に振り回されているかに気付くのが 魔法の言葉の目的ではないかと私は思う。

『魔法という希望』それを捨てる意志があるかどうか。 魔法があるとすれば、これが本当の魔法です。

解放ではありませんか。なんという重荷を背負って生きていたことか。

魔法を手に入れるにはどうすればよいか。魔法を留めるにはどうすればよいか。 魔法を味わったとしても、魔法の力はやってきては消えていくのです。

ということで前半と同じく、私たちにできることは、 たった今「あれこれ画策を巡らさず、単に静かにする」、

つまり、現れた事象や思考や感情に対して「よくきたわね、いらっしゃい」 と受け入れたり、 最後に書かれているように、頭の中の声を「単なる音」としてやり過ごすくらいで、 それしかできないしそれで充分というわけです。

そうすると、

自分で選ぶことができない、現れては去っていく事象のもっと奥に、 自分では選ぶことができない、現れたり消えたりしない真実があるとわかるでしょう。

たとえどのような会話がわき起こっても、わき起こったり消えたりしない、 常に今ここに在るのは何かを発見する権利は誰にでもあります。誰にでも可能です。

ということが「自然と」分かってくるのであります。

なお、「常にここにある変わらない何か」を無理やり理解しよう探し求めようと躍起になると 泥沼と化すし、

「じゃあ『常にここにある何か』を発見したら絶対に幸せになれますかぁー!?」 とすごい勢いで聞いてくるような人間に対しては「絶対なれぬ!」という回答しかなく、 もっと苦しむより他に道はありません。

あと最後にある「頭の中の『単なる音』を、自分が知らない外国語だとおもってみる」 という手法は、人によっては効果があるだろうからやってみればよろしい。

以上、

何をどうあがいても全ては現れ、そして去っていく。 なので悪あがきをして苦しむよりは、全ての現れに対してただ静かにしていましょう、 自分の頭の中の声(単なる音)を本当だと受け止めないようにしましょう。

というお話でした。

長くなったけど今回はここまで。

「理想」は幼稚でインチキに続く。

生きる上で大変ためになる記事一例

引き寄せに関する大変素晴らしい記事一例

...