私は他人ではない

子供の頃、 「○○君は新しいファミコンソフト買ってもらったんだって!うちも買って」 と親に言うと「よそはよそ、うちはうち」などと言われていました。

そのくせ、テストの成績とかは他人と比べられ、 「こんなの絶対おかしい」と子供ながらに思っていました。 (これはどの家庭でも起きていた現象だと大人になって知りました)

それはともかく「自分と他人は違う」ということを心から実感している人は、 今の日本に一体どれだけいるのでしょうか。

「自分と他人は違う?そんなの当たり前じゃないか」 と思われるかもしれませんが、私の経験からしてどうもそうではないのです。

あなたの思い込みは誰のもの?

私は子供の頃から 「頭(≒学歴)さえ良ければ、悩みなんて無くなりこの世は天国になる」 などという思い込みを持っており、芥川龍之介や太宰治の小説を読んでは 「この人頭が良いのに何を悩んでいるのだろう」と不思議に思っていました。

その思い込みは、実際に東大に行ったら見事に砕かれた訳ですが、 何で私はこんな思い込みを持ってしまったのでしょうか。

一番考えられる大きな理由は、私の母親が 「あそこのご主人はQ大卒なんですって!偉いわね〜」 「○○さんのところは京大に行ったんですって!」 などと、私が小学生の頃から言い続けていたからでしょう。

情報の発信源が親や身近な人間であれ、育ったコミュニティであれ 子供の頃から偏った情報に晒されていると、いとも簡単に「洗脳」 されてしまい、まるでその思い込みや価値観を 「生まれつき持っていたもの」であるかのように錯覚してしまうのです。

この記事を読んでいるあなたにも、何らかの思い込みがあると思います。 (例えば「金が無いと生きていけない」 「人と仲良くするには自分を抑えなきゃいけない」など)

それらは本当に自分オリジナルの思い込みなのでしょうか? もしかして、他人の思い込みをそのまま自分のものにしていませんか? もしあなたが持っている全ての思い込み、価値観が他人由来なら、 あなたは他人の「劣化コピー」に過ぎない、ということになります。

その辺をよく考えてみて、 あなたの思い込みや価値観がどこから来たものか分かれば、 その思い込みとサヨナラすることができるのです。

他人を盲信していないか

このサイトを始めた頃の私は、本に書いてあることや 他のサイトに書いてあることを鵜呑みにしていました。

「成功哲学」みたいなものを読んで、良いことが書いてあれば、 その手法をそのまま実行していました。

「これはちょっと違うんじゃないか」と思いながらも、 「本に書いてあることは絶対だ、だって筆者はそれで成功してるじゃないか」 と思い、あらゆるメソッドを行なっていたのです。

そして「何でこんなに結果があらわれないんだろう」と思っていました。

今考えれば、当然のことです。 私はその本やサイトの作者ではないのです。 私がこれまでの人生で、作者と全く同じ経験を積んでいるのなら 効果があるかもしれませんが、もちろんそんなことはありません。

それどころか、生まれた国や性別や年齢まで違っているとなると、 効果あるのか無いのかこりゃもう分かんねぇな、ということになります。

私はこの事実に最近ようやく気付きましたが、 これを読んでいらっしゃるあなたはいかがでしょうか。

「金持ちになる方法」というのがあればそれに飛びつき、 「楽々ダイエット法」というのがあればそれに飛びつき、 他人の意見や経験を盲信していませんか。 そして、効果が無かったらすぐに次の他人に飛びついていませんか。

もちろん、他人の意見を参考にするのはとても重要です。 他人の思考や経験から学ぶことも大いにあります。 ただ、他人の意見や体験を盲信してそれに飛びつくということは、 自分自身が持っている貴重な感性や選択する力を「蔑ろにしている」 ということになります。

お釈迦様が涅槃に入る前に 「他人に頼らず自分を拠りどころとしなさい(自灯明)」 と言ったそうですが、全くその通りだと思います。

他人に頼って他人の意見を盲信している限り、 あなたの人生は他人の劣化コピーとなっているのです。 他人の劣化コピーに成り下がっている限り、 あなたの人生に真の成功はおとずれません。

以上、自分自身を確立できた時はじめて、 あなたの人生は新しい幕開けになると私は考えるのですが、 これも私個人の意見なので盲信しないでください。

追記
そうは言っても、何も知らない時はまず真似することからはじめないと どうしようもないのですが、いつまでも真似だけじゃダメってことです。

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