ニート東大に合格! ニートから東大合格への道最終回

前回の記事:ニート東大を目指す

半月もすると、酒と不規則な生活で弱っていた体調もすっかり良くなり、 4月から前に通っていた予備校に、再び通うことになりました。

田舎の予備校なので、授業のクオリティには期待していなかったのですが、 宅浪などしようものなら、ニート時代の生活習慣に逆戻りするのは 火を見るより明らかであり、予備校に通って生活のリズムをキープしようというのが最大の目的でした。 (そのため、最低限とった授業でさえ内職をしていた)

予備校の入学手続きをしに行くと、浪人時代にお世話になった教師に会い、 「おっ!六郎君じゃないか!またここに通うのかね?」 と声をかけられました。

「この爺さんまだ生きてたのか。」とビックリしたのですが、 「まぁ、色々考えるところがありまして」と適当に答えておきました。

受付で入学手続きをしていると、受付の人をはじめ、 周りから奇異の目で見られているのがハッキリ分かり、 何とも恥ずかしくなり「やっぱやめようか」という考えが浮かびました。

しかし、ここで恥ずかしい思いをするより、 東大落ちて恥ずかしい思いをする方が100倍以上嫌なことであり、 この程度のことで恥を感じていては、東大入学してから、 また、東大卒業してからやっていけないと思い、 「東大合格」のみに焦点を合わせて一年間やり通すことにしました。

ニートから這い上がって東大という高みに到達するためには、 いちいち周囲の目など気にしているヒマは、私には無いのでした。

猛勉強の果てに、東大合格

予備校に通うようになって、最初の2ヶ月は本当に勉強しました。

辛い高校時代、不本意な大学時代、無為なニート時代に ずっとせき止められていた私の中の何かが一気に放出し、 それが勉強という行為になって顕在化した、といった感じでした。

途中からニート時の欲望が頭をもたげ、酒やクスリを飲んだり、 親と喧嘩をして1ヶ月近く口をきかなかったこともありましたが、 それでもいわゆる「受験生」以上の勉強量はこなしていました。

最初は力押しだった勉強も、私なりの勉強法を見つけることで、 より効果的なものへと変わっていきました。

そして、1年後の3月11日、私は東京大学に合格しました。

東大受験が終わってからというもの、落ちたとばかり思い酒浸りになっていたのですが、 3月10日の午後に予備校の事務員さんから「ネットで受験番号調べたらあった」 という電話があり、合格したことを初めて知りました。

最初「何言ってんだこいつ」と思ったのですが、どうやら本当らしく、 嬉しいというより、今までの色んな思い出が頭を駆け巡り、脱力して腰が抜けてしまいました。

勉強を通して、私の人生が大きく変わった瞬間でした。

あとがき 2021年版

今回当記事をリマスターするにあたり、 およそ10年ぶりに、あらためて最初から最後まで読んでみました。

まず思ったのは、よくここまで書けたなあ、 今の私にはこの文章は書けないな、というのが正直なところ。

もう一つ言えることは、読んでいる最中に胸がザワついたり変な汗が出たりしたけど、 「人生は短期的(close-up)にみれば悲劇だが、長期的(long-shot)にみれば喜劇である」 というチャップリンの言葉は、やはり正しいなということであります。

※関係ないが、私がチャップリン映画で好きなのは 『サーカス』『街の灯』『モダンタイムス』『独裁者』の4作。 この4作は本当に名作中の名作。その後の作品、殺人狂時代やライムライト等は好きじゃない。 何か独裁者の最後の演説で力を使い果たした感がある。

あと、いかにも自分の努力だけで何とかしたみたいに書いているけど、 昨今の情勢を鑑みるに、これは実家が金持ってたからできた芸当やね。

まぁそれでも、ニートを養えるくらいの経済力のある家庭なら、 私と同程度のことできる人いるんじゃないの、と思います。

この記事を読んで暇つぶしにするもよし、自分より下がいると安心するもよし、 奮起の材料に使うもよし、それは読み手の皆様におまかせいたします。

そんなわけで、以上で私のニートから東大合格への道を終わります。

もう少し情緒的に長ったらしく書けば良かったとも思いましたが、 そんな性分じゃないので、これでよしといたします。

追記

この後、東大生活をそこそこエンジョイするのだが、 性根の方は直っていなかったのでブラック企業に転落し、 ニート時代以上に辛い思いをする羽目になるのだけど、 その内容は仕事のカテゴリで。

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