孤独と向き合う

「人は1人では生きていけない」という言葉があります。

確かに今の社会ではそうなのですが、上記の様な言葉を好んで使う人は 大抵、個人の意見を無視する仕切りたがり屋で、 集団で固まって行動することに喜びを見出し、 そのくせ、1人になると何もできない臆病な人間と相場が決まっています。

こういう手合いは学校だけでなく、 社会人になってからも職場にもいて、 1人でいたいこちらとしては、困ったものです。

まぁそれはどうでもいいのですが(よくねーよ)、 子供の頃から親や周囲、ひいてはTVやラジオ等で、

「友達が大事」だの「みんなで一緒に」だの「人という文字は」だのと散々煽られ、 「1人で孤独に振舞うことは悪いこと」と洗脳され、

1人でいることに罪悪感なり引け目なりを 感じている人は多いのではないでしょうか。

かつての私もそうでした。以下は私の体験談。

孤独についての私の体験談

私は何故か知らないけど、幼稚園の頃から1人でいるのが好きでした。 1人で図書室に引きこもり、本を読んでいる子供でした。

幼稚園ではそれで良かったのですが、 家では親がそれを許しませんでした。 親は「子供はみんなで一緒に外で遊ぶべき!」 という強迫観念を持っており、それを私に対して頻繁に強要してきました。

子供の私にとって親の命令は絶対なので、 しぶしぶ命令に従わざるを得ませんでしたが、 「なんで1人で本を読んでいてはいけないんだろう?」 といつも疑問に思っていました。

そんな私にとって、小学校から始まった 「みんなで一緒に○○」だけでなく、 「机に大人しく座って勉強」という時間まで拘束されてしまう集団生活は、 まさに地獄でした。

しかし、教育による洗脳とは恐ろしいもので、 「嫌だ嫌だ」と思いながらも、段々と集団生活に馴染んでいく自分がありました。

洗脳の結果、

「友達が多い人の方が人間として上」 「友達100人できるかな」 「友達がいない人間はクズ」

という様な価値観を持ってしまい、 周囲に依存し、馴れ合う生活を送っていたのですが、 心の隅には、何かわだかまりの様なものがずっとありました。

そんなこんなで中学から高校に入学する時、 仲の良かった友人たちと離れ離れになり、 私は1人になってしまいました。

小〜中の9年間、無意識のうちに感じていた集団生活のストレスで もはや何をする気力も残っていなかった私は、 部活などに入ることもなく、1人でゲーセンに通う毎日をいました。

その後、無気力のまま大学に入り、なるべくしてニートになりました。 そして、周囲のご機嫌をとることもなく、馴れ合う必要も無い気楽な生活を 送っていたのですが、やっぱり子供の頃から受けた洗脳の効果は絶大で、 「ああ〜ひとりぼっちの俺はダメな人間だ〜」 などと、1人でいることに引け目を感じたり落ち込んだりしていました。

どん底にあった私は、恐怖と向き合うに書いたとおり、 開き直って東大受験を決意し執念の炎を燃やして勉強しました。

その時には、1人でいることや、周囲のご機嫌取りや 馴れ合いなどには目もくれず、ひたすら合格目指して勉強しました。 「1人でいることに引け目を感じる」、「友達の数が人間の価値」 などは、私にとってはどうでもいい、下らない価値観になりました。

東大生となった後は、今までのベタベタした馴れ合いではなく、 周囲とアッサリした付き合いをするようになりました。

ここまでは良かったのですが…

卒業後、サラリーマンになった当初〜最近(2011)までは 「学生と社会人は違う」などと思い込み、 「孤独はいいこと」という、折角自分が発見した本心、心の声を封印してしまいました。

そして、「会社のために」「みんなから認められないと」などと思い込んで、 自分を犠牲にしてまで働いていました。 苦労する割には、作業効率が学生時代より格段に落ちてしまいました。

私が身を粉にして働いても、私自身がちっとも幸せにならないので、 「会社の為に働いても、いい思いをするのは経営者や役員連中だけじゃないか」、 「自分を犠牲にしてまで働くことが今の日本では賞賛されているが、 それは本当に正しいことなのか?」 と考えるようになりました。

そして自分の心の声に正直になった結果、私が働く動機は… 会社という集団へ属していたいという「集団帰属欲求」と 給料がもらえなくなって貧乏になる「金を失う恐怖心」の2つだけ、 ということが分かりました。

さらに「孤独でもいい、というより孤独の方が私にはしっくりくる」 という学生時代に実感したことを思い出し、 「会社のために」「周囲に認められないと」という 洗脳に似た思い込みは薄れていきました。

生きることが、かなり楽になっていきました。

私の体験から

小〜高校生の頃の私は、親や周囲からの洗脳のおかげで、 孤独でいることは人間としてとても悪いこと という価値観をもっていました。 ニートになってからも、この価値観はなかなか外れませんでした。

孤独に対して、異様なまでの嫌悪感を持っていて、 いざ自分が孤独になると、この世の終わりといった思いでいました。

しかし、開き直ってヤケクソになった私には、孤独なんてどうでもよくなりました。 ネットが発達している今の日本、孤独だからといって死ぬわけじゃないし、 孤独に死んだら死んだでそれも良し、と思えるようになりました。

合格した当時は上記のことがまだ自覚できておらず、 「東大合格という達成すべき目標があったから、孤独にも耐えられた」 と、孤独は“耐えなきゃいけないもの”だと思っていたのですが、 今では 「孤独と向き合えたから、東大合格という目標を達成できた」 と、孤独を味方につけたことが目標達成の要因の一つだと考えております。

正直に孤独と向き合い、今までと違った価値観を受け入れて 自分の現実を広げたため、学力も自ずと上がっていったという感じです。

更に、「会社のために」などと思い込んで、自分を犠牲にして働いていた時は、 仕事の効率は落ちるし、ストレスは溜まるし、ちっとも良いことがありませんでした。 「孤独でもいいや、というより孤独の方がいいや」ということを思い出して初めて、 会社に行くこと、働くことが楽になってきました。

みなさんも一度、自分に正直になって、 周囲と馴れ合うのがしっくりくるか、 1人でいるのがしっくりくるか、考えてみたらいかがでしょうか。 考えてみて、良いと思った方を選べばいいと思います。

「そんな調子のいいこと言って、お前は友達がいなくて寂しいのを 無理に強がっているだけだろう」と思う方がいるかもしれませんが、 孤独は世間で思われているよりもずっといいものです。

むしろ良すぎるから、支配者層(笑)に都合の悪いものだから、 この社会では悪者扱いされているのかもしれない。 金持ちや成功者は必ず1人になる時間を持つというし。

毎日毎日周囲とベタベタ馴れ合って生きる方が、私にはよほど苦痛です。 もし私がずっと周囲に合わせて「友達沢山作って、馴れ合わなきゃ」という 強迫観念に侵されたままだったら、孤独の中に身を置いて1人で思考する時間がとれず、 東大にすら受かっていなかったでしょう。

孤独が悪者扱いされる、現在日本のような「連れション社会」にも、 私のように孤独が好きな人間もいるのです。

確かに人は1人では生きられませんし、 人間には集団帰属本能がありますので、 100%1人で生きていくというのは無理でしょう。 孤独大好き、集団生活大嫌いな私も、悲しいかな、たまに馴れ合いたくなる時があります。

しかし、自己の現実を広げて自分の内面を向上させれば、 こちらから馴れ合いに参加せずとも、 自分に必要な人々は必要な時に、自然と集まってきます。 「類は友を呼ぶ」とか「桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す」というやつです。

孤独でいる方が自分の心や身体にフィットする人は、 世間の「集団生活こそ正義」のような風潮に流されず、

「君子の交わりは淡きこと水の如し、 小人の交わりは甘きこと醴の如し」

という言葉を胸に、アッサリした人付き合いを、 最低限やっていけばよいと思います。

まぁ結局何が言いたいのかというと、ベタベタした馴れ合いが好きな人は君子小人関係なく、 ベタベタした馴れ合いをすればいいんじゃないでしょうか。 人の価値観は個々人で違いますし、馴れ合いをするのも良いと思います。

が、今の日本では、1人でいること、孤独なことが何だか「悪いこと」 のようになっていて、周りに合わせようと無理して馴れ合おうとして、 苦痛を感じている人も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

私はそういう苦痛を感じている人に、 「1人でいることは悪いことじゃない。 無理して馴れ合うより、1人でいる方がいいならそうしたらどうですか」 と申し上げたいのです。

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