恐怖と向き合う

高校生時代の私が一歩を踏み出せなかった原因として

①達成できるかどうか分らん遠くの目標より、目先の快楽を選んでしまうから。

②失敗して、自分の理想と違った結果になるのが嫌だったから。

と書きましたが、今回は②のお話です。

高校生時代の私が目先の誘惑を振り切って、机の前に座って勉強しようとしても、 「もし間違ったらどうしよう」や「今までやっていた箇所を忘れていたらどうしよう」などと、 失敗して自分が傷つくことへの恐怖心で頭がいっぱいになり、全く勉強が進みませんでした。

今考えると、何ともバカバカしいことで悩んでいたと、 我ながら呆れてしまうのですが、当時の私は大マジメに上のようなことを考えていたのでした。

さらに、勉強だけに限らず、生きていく上で万事がこの調子でした。

「人から嫌われたらどうしよう」 「周りから悪く思われたらどうしよう」 「上手くいかなかったらどうしよう」 「体を壊したらどうしよう」

と、いつも何かに怯えて下を向き、 結局何もせずじっと固まっている状況が続きました。

結果、高校から何もしないまま時がたち、なるべくしてニートになりました。 ニートになったらなったで、世間の目が気になり、 バイトもできず、ひたすら現実逃避の為にゲームをしたり、 夜通し酒を飲んだりしていました。

そして11月のある夜、アルコールと薬で頭がおかしくなっていた私は、 現実逃避の為の自殺を考えるようになり、決行してみたのですが、 失敗してしまいました。

死ぬこともできず八方塞がりになった私は、 「子供の頃から俺を苦しめてきたのは学校だ!!東大に受かれば、 俺を散々苦しめてきた学校というシステムに勝ったことになるだろう」 という、意味の分からない歪んだ執念を燃やし、 東大目指して勉強することとなりました。

東大生になった私は、当時自分では恐怖を克服できたと思っていたのですが、 それは単に「俺は東大生」という虚栄心で身を固めていただけの話で、 傷つくことに対する恐怖や劣等感は相変わらずのままでした。

さらに悪いことに、東大生という身分やそれに伴う虚栄心、 バイトで貯めた金など、手に入れたものを失うことに対する恐怖というものが、 私の中で成長してきました。

東大生のうちはそれでも良かったのですが、 サラリーマンになってからはその虚栄心が仇となり、 転職によって底辺へと転げ落ちていったことは、 以前書いたとおりです。

東大生からブラック企業の従業員に転落して、 プライドという名の虚栄心をぶち壊された私は、 ニートの時と同様、失うものが何も無くなってしまいました。

「死にたーーーーーーーい!!」 と、車を1時間走らせて樹海へGOしようと思い、 遺書を書こうとしたのですが…

ニートの時と違って多少はお利口になっていたので、 首吊り縄を結ぶ代わりに 自分は一体何を恐れているのか、 何でこんなに生きることが苦しいのか、 分析してみることにしました。

すると、 上記に書いてきたような、恐怖の正体が判明してきました。 結局私が恐れていたものの正体の根源を一言で表すと、

「大事な大事なかわいい自分が、他人や自分自身や周りの環境から 傷けられるのが恐い、傷つくのが恐い」 という、何とも情けない幼稚園児みたいな正体でした。

しかも自分が傷つく、傷つかないの基準が、 自分で作り上げた価値観に基づくものではなく、 世間一般の価値観、家畜の価値観に基づくものだとも分りました。

面白いことに、恐怖の正体が判明した途端、 今まで体に絡みついていた恐怖が殆ど消えてしまいました。

恐怖への対処法は恐怖と向き合うこと

以上が私の暗い体験談なわけですが、この体験を通して私が学んだ 恐怖への対処方法は次の通りです。

失うものが何も無い状態になる

これはいい意味で開き直れます。 死への恐怖すら薄れてきます。

「傷つくのが恐い」とか「現実が自分の予想と違うのが恐い」とか言っている人は、 大事だと思っているもの(財産、地位、プライド等)を、 一度景気よく捨てちゃえばいいと思います。 会社を辞めるとか貯金を崩して全額FXにつぎ込むとか…

捨てた後に、自分が大事にしていたものが、 いかに下らないものだったかということが分るでしょうし、 失うことに対する恐怖も薄れてきます。

まぁ本当に全部スッパリ捨てて文無しになったりしたら、 流石の私でも発狂するでしょうから、お金や「プライド」という名の虚栄心を、 ほどほどに捨ててみてはいかがでしょうか。

「失敗していいや」と思う

人が何かやろうとする時は、大抵「うまくやろう」「成功させよう」と思います。 私もそうですし、あなたもそうでしょう。

この「うまくやろう」という感情があるから、 「失敗したらどうしよう」という恐怖が生まれます。 ちょうど光が照ると影ができるみたいな感じです。

だから、「失敗していいや」とか「うまくいこうがいくまいが、どうでもいいや」 という気分で何かをやってみてはどうでしょうか。

私が思うに「うまくやろう」と思えば思うほど、 心と体が萎縮してうまくいかないことが多いです。 「どうでもいい」という気分でやると、心も体も萎縮せず なぜかうまくいくことが多いです。

そもそも、うまくいって手に入れられるものなんて、 私の場合はどれも大したものではありませんでした。 (これは真理である。自分の外部にあるもので大したものは9割9分9厘無い) 失敗したところで、最悪死ぬだけです。

緊張するのは本能なので仕方の無いことですが、 上の方法を試してみれば、恐怖と緊張が和らぐと思います。

恐怖と向き合い、恐怖の正体を知る

私が思うに、恐怖や劣等感というのは、 シュワルツネガー主演の映画に出てくる「プレデター」みたいなヤツだと思います。

正体が見えないうちは、何が何だか分らず、 闇雲に銃を撃ちまくっているという感じなのですが、 正体が見えると、狙い撃ちで倒せる相手なのです。

プレデターと違うところは、プレデターは正体を表しても結構強いですが、 恐怖や劣等感といったものは、正体が見えるとかなり弱いということです。

ですので、自分が本当に恐れているものは何か、 じっくり考えてみるとよいです。

大抵の恐怖の根本は、集団帰属意識から来る 「仲間はずれにされたくない」という恐怖や、 生存欲求から来る「死にたくない」という恐怖だと思います。

「そんなの知ってるよ」と思われるかもしれませんが、 「頭で知っている」のと「身体全体で実感として分かる」のは 大きな違いがあるので、一度自分が持つ恐怖について考え、 「実感として恐怖の正体を明らかにしてみてください。

元手もかかりませんし、 一度正体が分ってしまえば、今まで恐れていたものが 前ほど恐くなくなっているのに気づくでしょう。

ネガティブ日記をつける

私がニートの頃、暇だったので日記をつけておりました。

その日記を読み返してみると 「世間の目が怖い」「人間と接するのが怖い」 「ニートのまま死んでいくのが怖い」 などといった内容が延々と書かれていました。

今となっては「なんでこんなことを恐れていたんだ」 といった内容ばかりなのですが、 ネガティブな内容の日記をつけると、後で読み返した時に 「ああ、あんなに恐れていたことや心配していたことは、 全部取り越し苦労だったなぁ」ということが分かります。

作家のマーク・トゥエインが 「私がこれまで思い悩んでいたことのうち 98パーセントが取り越し苦労だった」 という名言を残していますが、まさにその通りです。

あなたの恐怖の殆ど全てが取り越し苦労だということを実感するためにも ネガティブ日記をつけるのはおすすめです。

※2015年追記:この記事は4年前に書かれたものであるが、今読み返すと、 よくもこんなことにマジになってたと呆れるやらおかしいやらなので、 やっぱり記録は付けておいたほうが良い。

以上が私がやって効果のあった方法ですが、 恐怖との付き合い方は人それぞれなので、 何か他に自分に合った良い方法を思いついたら やってみるのがいいと思います。

恐怖と向き合う:追記

恐怖の対象は人それぞれです。

人前で話すことに恐怖を感じる人もいれば、人前で話すことが大好きな人もいます。 死を異常に恐れ、延命治療を望む人もいれば、尊厳死を選択する人もいます。

しかし、大抵の恐怖とは、 「自分自身の心や価値観や考え方が勝手に作り出したもの」だということに気付いた時、 私が「恐い」と思っていたものが、かなり減少したように思えます。

2019追記

本記事は2011年に書かれたものだが、 特にこれといった本も読んでいない時期に これを書けるのは凄いと思った(小並)

※「小並」がGoogle日本語入力で変換できるのも凄いと思った。

ただ、恐怖と向き合うのは本記事のように複雑なことをする必要はなく、 恐怖を感じていることに気付き、ただ止まる、これだけで充分である。

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