第6章後編:自分を責めても無駄

前回の記事:第6章:冷静に判断できない脳

今回は第6章の後半。

自分を責めたり罪悪感を持つこと自体が当人の人生をメチャクチャにすること、

および受験生がよくやる「打ち上げ花火みたいな決意」とその対策について。

まぁここまで読んできた人なら分かるでしょうが、 対策方法の殆どが「気付け、観察せよ」であり、

これじゃあニューアースと変わらないわね、 という有様になっております。

自分を責めても無駄

まずはP.215からの、本書のサブタイにもなっている「どうにでもなれ!効果」について。

どうにでもなれ!効果とは「一度失敗するともっと駄目になりたくなる効果」のことで、 酒、煙草、ダイエット、ギャンブル、浮気など、大方のものに当てはまります。

なんでこんな厄介な効果があるのかというと、

やってはいけないことをやった (あるいは、本章には出てこないけど、やるべきことをやらなかった)とき、 それを大事にして自分を責めて意志力を弱めるからで、

意志力にとってマズいのは、禁を破ったこと自体ではなく、 それを一大事にしたり、自分を恥じたり責めたりして、 結果希望や自制心を無くすことだということであります。

それはP.220のドーナツ実験からも明らかで、

罪悪感は自分の過ちを正すのに役立たない、 自分に厳しくしても意志力は強くならない、 自分を責めても無駄で何の得にもならない

ということなのですが、 私たちは「厳しくすることが教育」であると洗脳されているので、 なかなかその真実に気付けないわけです。

なのでまずは、つまずいたとき失敗したとき挫折したとき、 自分に「何」を言っているか観察して気付きましょう。

そして、「厳しい=教育」という洗脳があるので仕方ありませんが、 失敗したとき以下について考え、ダメ元で自分を許してみましょう。

  1. どんな気持ちがするか?どんな言葉で自分を責めているか?
  2. 人間だもの:人間だから苦しんだり悩んだり、誘惑に負けるのは当たり前のこと。人間だから。
  3. 他人が同じように悩んでいたら、どのような言葉をかけるか。 (どうせ「ま、あんま気にすんなよ」とかだろう。自分自身に対してもその適当さが肝心)

ダメ元でも適当にやっていれば、少しは変化が感じられると思います。

打ち上げ花火の決意とその対策

お次はこれ。受験生には耳の痛い内容。

P.226にある通り、大多数の人間は「自分は変わるんだ!」という決意をしても、 変えるのに時間がかかって辛いため、しばらくすると元の木阿弥になります。

これを「いつわりの希望シンドローム」と呼び、 これは本気で自分を変えたいのではなく、 決意するだけで気持ち良くなるので、 気晴らしのために決意を繰り返しているとのことであります。

「そんなことはない!俺の決意は本物だ!」なんていう人は、 「決意を持続させるためのシミュレーション」をやっておきましょう。

これは 「自分がいつ、どんな風に誘惑に負けて誓いを破るか予想(シミュレート)することによって、決意を持続できる」

というもので、失敗に備えておくのは、自信の無さからではなく、 ひとえに自分に対する思いやりからであるとは本書に書かれている通りです。

※「失敗のことを考えたら失敗が引き寄せられる」なんて寝言を抜かすのは問題外。

以上、

短絡的でお粗末な気晴らしではなく、 本当の意味で良い気分になれることを探せ、

自己コントロールにおいては、 自分を責めるよりも自分への思いやりを持て

ということが6章のテーマでございました。

第7章:「理想の自分」など存在しないに続く。

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