ウォーキングの絶大な効果 私の場合

解説『脳内革命』

※当記事は実質、以前書いた『脳内革命』の続きとなります。 関係あるのは冒頭の部分のみだけど。

前回、『脳内革命』についてクソミソな記事を書きましたが、 一つ引っかかっていたことがあり、それは本書にあった「ウォーキング」について。

私は小学校の頃からウォーキングに慣れ親しんできた?のですが、 今回はそのウォーキングを止めたらどうなったか、7年ぶりに再開したらどうなったかについて、 何の参考にもならない話を書いてまいります。

趣味は散歩

以前も書いた通り、私は地方の国立附属小に通っていたのですが、 何故か郊外の自宅から学校まで、片道3kmの距離を小1の頃から徒歩で通学しておりました。

もちろん帰りも同様で、 本当はバスも通っていたのですが豪雨だろうが台風だろうがバスに乗ることを親が許さず、 隠れて乗ったのがバレて殴られたこともありました。

こんな素敵な小学校時代を送っていたためか歩くクセがついてしまい、 それはニートになっても変わらず、京都や大阪の街をブラブラ歩いていたし、 東大入学後も、大阪や京都でサラリーマンをやっている時も同様で、ダラダラ歩いておりました。

※中高は自転車通学だった。小五、小六のとき国算理社オールAだった成績が中高でダダ下がりしたのは、 徒歩通学が自転車通学になったからかもしれない、と今頃になって気付いた。

上記がそれぞれのお気に入りの散歩ルートで、 京都と大阪のはニート時代ではなく、南区西九条と北区同心に住んでいたサラリーマン時代のもの。 ちなみにショッピングや観光は殆どせず。もっとしておけば良かった。

こんな感じで、都会に住んでいた頃は散歩ライフを満喫していたのですが、 ケチが付き始めたのは京都から山梨に左遷され、山梨の環境に耐えられず車を購入してから。

「田舎で車は必須っすから!コンビニにタバコ買いに行くのも車が必要になりますよ」 なんてことを整備の兄ちゃんに言われ、「まさか、そんな馬鹿な」と思っていたのですが…

1ヶ月もしないうちに、見事その通りとなりました。

※しかしすげぇな京都から山梨に島流しって。時代が時代なら憤死するレベルやぞ。 まぁ私の場合、山梨長野の大自然に触れて憤死どころか蘇生したわけですが。

散歩再開

車のおかげで田舎暮らしが大いに捗り、山梨長野の自然をはじめ、 伊勢神宮や法隆寺や出雲大社等の様々な観光地を回ることができたのですが…

車に乗りはじめてからおよそ7年、小学校時代の通学路並の距離を歩いたのは、 白川郷に行った時、守屋山登山をした時、氷穴風穴間の樹海を往復した時、 博多と名古屋と東京に行った時くらいしか記憶にない程、全く歩かなくなっていたのです。

最近になってこの事実に遅まきながら気付いた私は、早速歩くことに決め、 数キロ離れたスーパーに買い物に行く時、市街地に出る時など、車は使わずに全部歩きに変えました。

するとどうでしょう。最初は2km歩いただけでも翌日筋肉痛になっていたのですが、 無理せず、特に休日は意識して歩くようにしていたら、寝覚めが改善されるなど体調は良くなるし、

しかも、久しく忘れていた小学生の頃からの感覚、 腰から背中や首にかけてエネルギーが吹き出してくるような、 あの感覚が蘇ってきたではありませんか。

「凄い!ガキの頃や都会に住んでいた頃はこんな感覚だったんだな」と久々の感覚にビックリすると共に、 「じゃあ、これまでの7年間って一体何だったの」とも思ってしまった今日此頃でした。

※東京大阪京都に住んでいた時、ウィスキーを1日で半分〜1本空けたりハイライトや赤マルを ジャンジャン吸っても全く平気だったのは、あれだけ歩いていたからだと今なら分かる。 まぁ、今更また同じことをしようとは思わないが。

まとめ


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