10章 目覚めた人間の行動

前回の記事:10章 形あるもののサイクル

10章の後半には「目覚めた人の行動」なるものが書かれています。

作者的には「これが目覚めた人だ!」と言いたいのでしょうが、字面だけ眺めていると 私的には何だか「目覚め」「悟り」といったものに一定の条件を付けているように感じて、いまいち納得できません。

目覚めとは存在であり、行動様式ではないので、目覚めながら怒ることもできるし、目覚めながらシコることもできるし、 そんなの自由じゃないかと私は思います。

なので、別に所謂「聖職者」みたいなのじゃなくても、 その辺の乞食や売女でも目覚めは可能ということですが、 その辺は人それぞれで、字面通り受け取る方もいるでしょう。

本当は字面通りの意味ではないことは実感しているのですが、私の言語能力が乏しいために、 いまいち言葉で表現できないのが現状です。

それはともかく、3つの行動について書いてまいります。

1.受け入れる

まずこれ。これはもう9章の記事で書いたように「今がベスト」と思うのが一番簡単でしょう。 「今がベスト、今よりよいところがあるなら、俺は今そこにいるだろう」 「何でこんなことになるんだ!と怒っている今がベスト」 「腹痛で悶絶している今がベスト」 「今がベストだと無理矢理思い込んでいる今がベスト」 こんな感じでしょうか。

ちなみに私が本書に書かれているような、小雨の深夜にパンクするような事態に陥ったら、 迷わずJAFを呼びます。折角年会費5000円を支払っているんで。

2.楽しむ

これも字面だけ読むと誤解を受けそうな文言。 「あー楽しい」的なことではなく、何か感覚的には分かるのですが何と表現すればよいか・・・ 身体の中心や宇宙全体から流れるエネルギーみたいなものを感じるというか、 そのエネルギー自体が「楽しさ」というか、文字で書くと突拍子もないですがそんな感じです。

「ちっとも楽しめない、退屈だ」という方は無理に楽しいと思わなくても良いと思います。 1の「今がベスト」と矛盾するじゃないかと思われるかもしれませんが、 この辺は場合によって使い分けるなり何なりしてください。 少なくとも私はそうしています。

もしくは「退屈そのもの」になってしまう。 「退屈そのもの」になれば退屈を感じることもありません。

3.情熱を燃やす

最後に「情熱を燃やす」ですが、こんな大仰なこと書かれても、私にはよく分かりません。 「生命」や「大いなる力」を感じながら身体を動かせば良いのでしょうか?

というわけで、何でラストにこのようなのを持ってきたのか、 そもそも本書全体でこれだけのページ数を割く必要あったのか、 重複しているところを編集していけば、もっと薄くなったんじゃないのお? と、この期に及んで突っ込みたくなってまいりました。 (それはお前が理解してないからだろ!in2021)

ともかく、私的には「生命」「大いなる力」みたいなのを感じられればそれでOKで、 本書にある行動様式みたいなのに対しては、

Ⅰ.流れに身を任す

「生命」「大いなる力」みたいなものの流れに身を任す。エゴが考え出した行動でジタバタしない。 「生命」「大いなる力」が私の身体を通じて結果を出すということを、頭の隅にでも置いておく。

Ⅱ.流れを感じる

「生命」「大いなる力」みたいなものの流れを感じる。身体の内から放出される流れ、宇宙全体から身体に向かう流れなど色々感じる。 自分がただのちっぽけな肉塊ではないことを、多少なりとも実感できる。

この2つで充分だし、この2つを意識していると、 ある日突然何かひらめいて身体が勝手に動くようになります。 これこそが「情熱を燃やす行動」ではないでしょうか。 (上で分からないと書いておきながら何たる言い草)

最後に、この「生命」「大いなる力」というやつは、 五感で認識できる形、肉体、思考などではなく、(このサイト含めた)他人の意見ではなく、 押し付けられた会社の規則や世間一般の常識でもなく、お金の力でもなく、 それら自分が感じている「限界」の向こう側の力である、

エゴや形や思考にとらわれ、限界ばかりに意識を向け続けているとそこまでだが、 今まで書いてきたような感じで、「限界」の向こう側を実感できるようになれば…それはそうなる ということを付け加えておきます。

そんなわけで、10章 「今」がユートピアに続く。

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