解説『ニューアース』完全版 用語解説

前回の記事:はじめに

今回は『ニューアース』に出てくる用語の解説をしてまいります。

本書が読みにくい理由の一つに 「訳の分からん用語が色々出てくる」というのがあると私は思うのですが、 それを解消するために、本書を読み進めていく前に、私なりの簡単な解説をします。

あくまで「私なりの」なので勝手な解釈になるかもしれないし、 そもそも言葉に拘るのもどうかと思うのですが、 何か書けと言われた気がするので書いてまいります。

形のないサイド

まず本書には「意識」「本質」「エゴ」「ペインボディ」「マインド」と色々な言葉が出てきますが、

これらの言葉を大雑把に分けるなら、 「形があるor形がない」「知覚できるor知覚できない」、 というような感じで分けてしまえばOKです。

意識(Consciousness)、本質(Essence)、Being、今、Unmanifested、 空間、宇宙の知性、神、生命、静寂(Stillness)、I AM、源、全体…

本書に出てくるこれらは全て「形のないもの」を指し示している言葉で、 指し示している対象は全て同じで、単に言葉が違うだけです。 なので同じとみなして読めばおk。

何で同じものを指しているのに、いちいち言葉を変えているのかというと、

対象が言葉では到底表現できるものではないから、 1つの言葉でラベリングするとその対象がたちまち矮小化されてしまうから(「神」なんてその典型)

であります。

また「内なる空間(インナースペース)」と「インナーボディ」については同義で、 あなたの物質的な身体を媒介とした上記の「形のないもの」くらいに認識しておけばおkです。

ただ、こういう「形のないもの」「語り得ぬもの」について書いてみても、 やっぱり掴みどころのない、よく分からないものになるし、

ニューアースどころか大昔からの聖典などで膨大な言葉を費やしているけど、 やはりその「真理」「本質」をダイレクトに表現できなかったから、 1章に書かれているように、宗教が人類のエゴを増長させる道具になってしまったのでしょう。

たとえば上記で挙げた「Being」について 「私の本質である『形のない私』、これがBeingであり私という形であることを可能にしている」 と7章十六節に書かれているのですが、

こんなのただ読んでも、 「はぇ〜、『Being』ってのはこんな意味なんだ」という概念がマインドにプラスされるだけで、 意識の変容、目覚めには何の効果も無いということです。

それに加えて本書の第一目的である「目覚め」という言葉についても、 「私の内にある意識の変容」「悟り」とかと同義だけど、こんなの言葉だけでは全くのナンセンスで 「目覚めというのは目覚めてみてはじめて分かる」というのは本書にある通り。

形があるサイド:エゴやペインボディ

むしろ覚えておくべきなのは、 言葉で表現できて「ああ!これこれ!」と認識できる「形がある」サイドの言葉たち。

なにせ「形」があるので、思考や感覚で簡単に分かるのであります。

※ただし、「形あるサイド」「形ないサイド」とサッカーの試合みたいに2つに分かれているのではない。 「形あるサイド∈形ないサイド」といった感じで、形のない領域から形が発現している。

「思考」「頭の中の声」とは、これを読んでいるあなたの頭に響いている言葉で、 「感情」はその「思考」という声に対する身体の反応、 「マインド」は思考と感情の一連のプロセスを引っくるめたみたいなものです。

そして本書のキーワードである「エゴ」を一言でいうなら、

あなたが「これが私だ」と考えている自分自身

もうこれに尽きます。

あなたが普段「私は〜」「私が〜」「私の〜」「私を〜」と考えたり言ったりするとき、 その「私」およびその声は、99.99999999%エゴだということです。

さらに、その「エゴ」が、この世界を狂気の世界にしてしまい、 あなたはこの世に誕生してから延々と苦しみ続けているというわけであります。

また「ペインボディ」について一言でいうなら、

「あなたがしがみついて離さない『私と私の物語』に関する感情的なクソの山」 「わざわざ不幸や苦しみをあなたに追い求めさせる寄生虫」

となるのですが、詳細は5章あたりで書いてまいります。

こういう「思考」「感情」「エゴ」「ペインボディ」といった 「形あるもの」が出てきたときに「あっ出た出たデター」と気付く、

この気付きこそが、 「自分の思考や行動が実はエゴである」ことにすら気付いていない 「無意識状態」から抜け出す一歩になるので、 本書におけるこれら言葉の定義を覚えておき、

まずはたった今、「私」が何を考え、何をしていのるか観察しましょう。

最後に、4章等で「自己意識」などという形のないものサイドっぽい言葉が出てきますが、 原文だと「sence of self」で、これは紛れもなく形あるサイドの言葉なので、 「自己感覚」と訳したほうが良い気がします。

以上、今回はここまで。

実践する内容に続く。

※そういえばTwitterに「頭の中の声であるmindを『心』と訳すのってどうなの。混乱の元じゃん」 と知ったかぶって書いたが、 あの中村元大先生をはじめとするイン哲関係の方々も 「マインドの和訳は『心』」という認識でいらっしゃった。ヒエ〜

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