前回の記事:第6章一節から三節
前回は
ペインボディに気付くこと、苦しみに抵抗するのでなく「たった今」と調和することが、 ペインボディの終わりの始まり
ということについて書きました。
今回は四節と五節について。
「子供」「不幸」とサブタイにありますが、それらに限ったことでなく、 普遍的なことが書いてあります。
まずは子供のペインボディについて。
さっきまで笑っていた子供が、例えばスーパーで欲しいものがあったとき突然泣き叫んで大騒ぎするのは、 人類のエゴから発しているペインボディ、もしくは親のペインボディが感染したものだとのこと。
かくいう私も幼稚園入園前に母方の実家に行ったとき、 駄菓子屋で箱が色あせた重機動メカ(確かジグ・マック)のプラモを見つけ、 これが欲しいと大騒ぎしたことを覚えております。
※でも、イデオンのキャラデザやメカデザインって今でも充分通用するんじゃないの。 しかも『カンタータ・オルビス』を超えるアニソンなんていまだに現れていないし。 まぁこれは個人的感想で、あれをアニソンと呼んで良いのかどうか知らんけど。
それが本当にエゴおよびペインボディが原因なのかは知らないけど、 今日もどこかのお菓子コーナーで子供が泣き喚いているのは事実だし、 「どうしても○○が欲しい!」と喚き散らすのは、 何もお菓子コーナーの子供に限ったことではないでしょう。 (ある意味、子供よりも質が悪い)
ともかく、親は自分自身のペインボディの反映を子供に見ることになり、 「子供の前では大人しくしよう」としても無駄で、抑圧されたエネルギーが発せられ、 子供に感染してしまうとのこと。
なので、子供のペインボディをどうこうするよりも、 まずは自分自身のペインボディにどう対応しているかが重要で、 当節の説明にある通り、子供のペインボディに反応しなければ 自然にコトは収まるという寸法です。
※逆に、子供のペインボディに引きずり込まれて爆発し、 感情的に反応して怒鳴ったりぶっ叩いたりしたらアウトなのだが、 大抵の親がこうするのが「普通」だし、これが何代も続いているのは、 皆さんも実感としてお分かりだろう。
これは別に子供に対してだけでなく、 6章六節のエピソードのように成人に対しても同じなので、 何でわざわざ子供大人と分けて書くかね、というのが私の感想です。
なお、当節を読んで 「オレの両親はペインボディが酷かったからオレも酷いペインボディになった!」 「親が正しい対処をしなかったからオレの人生メチャクチャになった!」 とかいって、親のせいにするのは止めましょう。
重要なのはたった今、自分のエゴやペインボディにどう対処するかです。
当節でまず書いてあるのは過去の堆積であるペインボディを原因としない 「新しく生まれる不幸」についてで、 何で不幸(苦しみ)が新たに生まれるかというと、 「今」に抵抗し「今」を否定するから。
なので、本書その他に散々書かれていますが、 避けようのない「たった今」に対して無条件にYESと言えば良いわけで、 それにより「全体」「生命」と調和するというわけです。
一方、ペインボディから発する不幸や苦しみというのは、 何かキッカケとなる状況や出来事(本来ニュートラルであるがまま)に対し、 ペインボディと一体化したエゴによって歪んだ解釈をされ、 古い感情を爆発させることによって起きるとのこと。
※ペインボディ自体やその習性に問題はないが、 エゴによって「ペインボディ=私」だと同一化すると大問題だというのは、 以前書いた通り。
3章で述べた「鏡の中のアクトレス」なんてその典型例だし、
当節の記述に沿った具体例を一つ挙げると、 たとえば小学校の時、理由は勉強ができないとか運動音痴だとか何でも良いですが、 クラスで嘲笑の対象になっていたとします。
そうすると、嘲笑された恥ずかしさや悔しさ、 周囲や自分自身に対する怒りといったものが堆積してペインボディとなり、 中高どころか大学、果ては社会人になっても、 他人の笑い声に対して「過剰に」反応するわけです。
さらにタチの悪いことに、 電車の中で高校生グループがバカ笑いしていたとすると、 自分のことを笑っているわけではないと分かっているはずなのに、
ペインボディが当時の恥ずかしさや悔しさや怒りを再現したいがため、 「お願いだから笑いの対象が俺であってくれ!」と、 自ら不幸になることを求めてしまうのです!
だって、当時の恥ずかしさ悔しさ怒りを再現できるから!
そして、酷い場合はそのペインボディに操られ「てめぇらうるせぇぞ!」 「お前ら俺を笑っとったやろ!」 と感情を爆発させ、「笑い声」という些細なことをきっかけに暴力沙汰に発展し、 周囲を汚染してしまうのであります。
にわかには信じられないかもしれませんが、 こんなの日々のニュースを見聞きすれば 「特に珍しくもない、よくあること」だと分かるでしょう。
これは別に対人関係だけでなく、状況や病に対しても全く同じで、 ペインボディはネガティブになることを自ら望み、 「不幸で歪んだ現実」を作り出すわけです。
本当は
という「自作自演の茶番劇、道化芝居」に過ぎないのですが、 これに気付くまでは苦しみが続くというわけです。
今回はここまで。
第6章六節と七節に続く。
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