第7章十三節から十四節:解説まとめ『ニューアース』完全版

前回の記事:第7章十一節から十二節

前回は、

「いつか」なんて考えても、その「いつか」は絶対にやってこない

「たった今」に対してYESと応えることで、 この現実や「これが現実だ」と思っている自分のリアリティを融解させていく

ということについて書きました。

今回はホーキング博士のエピソードが載っている十三節と 「生きる喜び」という誤訳のサブタイが付いている十四節について。

7章十三節 限界を超える Going Beyond Limitation

まずはこれ。

前半は「『今に在る』という在り方が行動に流れ込み、変容をもたらす」という、 9章10章と同じような記述となっております。

そして唐突に「形は限界を意味する」なんていう、限界についての話が始まります。 (「抜けがあるのか」と原文を調べたが、 原文も”Form means limitation.”と、唐突に始まっていた)

その限界についてですが、私達が生まれてきたのは、 ただ限界を経験するだけでなく、 限界を乗り越えて成長するためでもあるとのこと。

ホーキング博士の話はキチンと読めば分かるので実際に読んで頂戴。 もちろん、他人事だと思わずに自分のこととして。

ただ、ホーキング博士の例では高尚すぎてピンとこない人も多いだろうから、 思い切りレベルを下げた、よくある話をすると以下の通り。

もはや引き寄せで一発逆転を狙うしか手段のない、 いい年こいて引き寄せにハマっているオバサンやオッサンのエゴは 「限界を乗り越えて成長」なんて文言を見ると、

「やっぱりそうか!私の惨めな現実は無いことにして キラキラ☆ハッピーだと思えば、 いつか限界を超えて自分の欲求を引き寄せることができるんだ! そのうち本当にハッピーになれるんだ!」

なんて考えるのでしょうが、そうではありませんし、 そんなことで惨めな現実に変容は起きません。

真実は逆で、 「自分は大した経歴も金もない、ただ年齢を重ねただけのオバサンorオッサンだ」という 「たった今」が形として現れた状況、 その状況に対する思考および感情といった様々な形(これらが限界)について、 そこから逃げようとせず、心の底から受け入れろ、ということです。

だってそれは、たった今、ここに形として現れているのだから、 少なくとも自分自身がそう思って不快に感じ恐れているのだから、 受け入れるより他に仕方がないではありませんか。 (受け入れたところで死ぬわけじゃないし)

それなのに、エゴは「冗談じゃない!こんなもの受け入れられない!」 「私がこんな風になったのは親が悪い生まれた環境が悪い!アレのせいだコレのせいだ!」 と言い訳して逃げようとしたり、 ネット上で愚痴ったり他人を攻撃したり、ひいてはこんな記事を読んで腹を立てたりと、 さらなる不幸や苦しみを生み出しバラ撒いているのです。

大体、「いつか」「そのうち」とかいって 「たった今」から逃げようと悪あがきをず〜〜〜っと続けてきたから、 結果として「たった今」がそんな有様になっているのではないか!

この際だから、無駄なあがきを続けるのはもう止めなさいと言いたいし、 「たった今」を丸ごと認めて無条件で受け入れた方が、 「私は豊かでハッピーです」「私は意識です」「私はソースエナジーです」 などという、心にもない、耳当たりが良いだけの言葉を無理矢理考えるよりも よっぽど現実に変容をもたらすことができるのですが、 実践しないと到底実感できることではありません。

※ちなみに「私は意識」「私はソースエナジー」なんてのは、 本や教祖様から聞きかじって頭で考えてどうにかなるものでなく、 自然と実感できる、湧き出てくるようになるもの。

「たった今」を受け入れるのに金も時間も手間もかからないし、 いざ受け入れてみたら当節のホーキング博士のエピソードが他人事ではないことが分かるし、

さらに、「たった今」を受け入れることで、 「惨めなオバサンorオッサン」だと思っていたのは自分ではないことに気付いて、 初めて人生の深層に近づくことができ、

エゴには全く理解できない力が発現し、文字通り「限界を超える」のは、 この受入れた状態からだということも分かります。

※以上のことは「私は惨めなオバサンorオッサン」 というのをアイデンティティにして自己憐憫に浸れと言っているのではないし、 ましてやそれに蓋をして誤魔化せと言っているのでもない。 それは今まで散々やってきたことだろう。 私は「今と和解せよ」と言っている。 この違いが分からない人間は本書を一からやり直しだし、もっと苦しむがいいや。

7章十四節 生きる喜び The Joy of Being

お次はこれ。

なぜか「生きる喜び」となっていますが「在る喜び」の方が正しいでしょう。 (「在る=生命」なので間違いではないが)

大抵の人間は、幸福になれるかどうかは自分に起きる出来事次第、 つまり、「幸福は所有、達成、他人、出来事ナドの形に依存している」と信じており、

「何が起きるか」なんていうものは、 この宇宙で最もアテにならないことだと全く気付いていない、 というのは当節にある通りで、

さらに、大抵の人間は何でもかんでも「これは良い」「あれは悪い」と断片的に決めつけ、 人生本来の完全性、常に目の前にあり形を超えて存在している 「完全性」を見逃すというのも、当節にある通りです。

じゃあ、所有、達成、他人、出来事ナドの形にとらわれない幸福って何なの?という話なのですが、 それが唯一の真の幸福である「在る喜び」で、自分の内なる次元から放出されるとのこと。

これでは何のことやらサッパリという人が殆どでしょうが、 「在る喜び」を感じる方法は簡単で、前回前節までで書いてきた通り、 「たった今」に対してYES!と応えること、「たった今」を無条件で受け入れること、 これだけです。

存在(Being)というもの自体が、宇宙(全体、神、意識etc.呼び方は何でも可)からの YESのメッセージなので、 それに対してYESと応えれば喜びが放出されるのは当然なのですが、

「いつかアレが実現すれば幸せになれる」「いつかコレが排除されれば幸せになれる」 なんて考えているエゴにとっては到底理解できないことなのです。

以上、今回はここまで。

第7章十五節から十六節に続く。

生きる上で大変ためになる記事一例

引き寄せに関する大変素晴らしい記事一例

...