2章 エゴというメカニズム

前回の記事:第一章 人類の意識の進化

お次は2章です。

ただし、この記事では3章の内容も含みます。

この章のサブタイには「メカニズム」とありますが、 このメカニズムがどういったものか、みていきましょう。

エゴのメカニズムとは一体どういうものか?

例えば、以下のような状態があったとします。

これを読んでも「ふーんそう」程度しか思わないでしょうが、 ここに魔法の単語を付けてみましょう。

どうでしょう。 「私の」(これを読んでいる「あなたの」でも可)と付けただけで、 何か複雑な感情が湧き上がってきたのではないでしょうか。

他人がどうなろうが知ったことじゃないけど、 いざ自分に何か変化(良いことでも悪いことでも)が起きると、 たちまち思考や感情が次々と湧き出してくる…

これが「エゴのメカニズム」というやつであり、 殆どの人がこんなもの意識せず、無意識のうちに このメカニズムの虜となっているのです。

しかもこの「私の」という概念は、全くの嘘っぱち、 幻だというのだから、もうダブル☆オドロキですよね。

別に幻の虜になってもかまわないのですが、 自分が気づいてすらいないメカニズムのせいで 必要以上にイライラしたり苦しみを背負ったりするのは、 何とも割りに合わない話じゃないですか。

※メカニズムによる苦しみ自体が、メカニズムを崩すことができる 浄化の炎となるのですが、それは4章の話。

エゴの正体

このメカニズムを形成しているエゴですが、 このエゴというやつの正体は何かというと、

俺はひ弱でちっぽけな、取るに足らないつまらない存在だ! 何もせず何も無いまま、そのままでただ存在しているだなんて、 とてもじゃないが絶対に耐えられない! そんな風になるくらいなら死んだ方が1000000000000倍マシだ!!

という思い込み(これも幻)だと私は定義しております。

その思い込みのおかげで、

身体や所有物や思考や肩書を身に付けて、 何が何でも自分を大きく見せようとする。

身に付けたもの(身体、モノ、思考、肩書、所属集団etc.)と 自分とを同一化し、その身に付けたものが変化すると 一喜一憂したり右往左往したりする。

自分と同一化していたものが崩れたら、他のものと即同一化する。

他人の意見や他人の目が常に気になり、他人と比較する。

「俺は絶対的に正しい!」「もし俺様が間違っていたら死んじゃう!」 と思い込み、自分を正当化して、または被害者のフリをして 何が何でも自分を防御する。

「何も無い」「そのまま」という状態は絶対に耐えられない!ので、 たとえそれが不幸や苦しみを喚起するもの、 過去に被害者となった自分の物語や恨みの感情、 これから起きると思い込んでいる不安な物語などであっても その物語や感情と自分とを同一化し、必死になってしがみつき、 アイデンティティを確立させる。

といったようなことを、「無意識のうちに」反射的にやってしまうのです。

以上、エゴのメカニズムと正体について書きましたが、 大体の基本は上の通りで、あとは色々なパターンがある と思っていただいて結構です。

頭で理解するだけでなく、実感なり体感なりできれば これだけでもかなり内面が変化してまいります。

内容が濃いので今回はここまでで、 次回はその対策とかについて書いてまいります。

追記

しかしこういうのって、仏教の内容と同じだと思うのですが、 日本の坊主の大半はやれ極楽だの戒名だのと喋ってばかりで、 ちっともこういうこと話してくれません。

少なくとも私は、葬式や法事で上記のような話を聞いたことがありませんし、 そもそも坊主と直接話す機会がありません。

逆に、神父さんからはちょっと同じようなこと聞いたことあります。 (悪魔というのはべつに角や羽の生えた化け物じゃなくて、  知らず知らずのうちに私たちの心に住み着き云々) 丁度ギリシアで発展した自然科学が、 キリスト教(の権力者)から逃れてイスラム圏に移りその後ヨーロッパに戻ったのと同じように、 仏教の原理も形骸化した葬式仏教や生臭坊主から逃れて 欧米のキリスト教圏に移り、再び仏教圏に戻っているのが、 昨今のニューエイジ思想といったものなのでしょうか。

それはともかく、前回に比べてより分かりやすく書こうと 参考に前回の記事を読んでいるのですが、 本当にこれ俺が書いたの?という感覚に陥っております。

あと本書について、著者サイドはもう少しシンプルに 書いてくれても良かったような気がしている今日この頃です。

2章 エゴへの対処法に続く。

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