前回の記事:1章 狂気の世界
今回から2章。
英語のサブタイは「エゴ:人類の現状」となっており、 前回書いた「狂気の世界が当たり前となっている状態」 のことをいっております。
これからずっと暗い話が続きますが、新しい地を出現させるためには、 まずは「エゴの構造に囚われた幻の自分」「インチキの自分」に気づく必要があり、
その気付きを実践するためのヒントや事例が2章から6章あたりまで書かれています。
まず最初に申し上げておきたいことは、71ページあたりにも書かれている通り、
「幻は、幻と認識すれば消える」ということ。
幻を「真実」だと思い込んでいるときだけ幻は存続し、
それが真実ではなく幻(インチキ)だと気付けば、 「何で今までこんなのに騙されていたんだ!」となるわけです。
「幻と気付けば消えるだなんて、そんなの信じられない」 とか思っている人もいるかもしれませんが、
この「幻」というのは、英語版だと”illusion”となっており、 「イリュージョン」といえば、日本では手品です。
手品のトリックが分からない間は、それを真実か魔法か何かと思って 「凄い!なんてこった!」と赤くなったり青くなったりしますが、 タネ明かしをされた途端「なあんだ」となり、別に凄いとも思わなくなる。
つまり、この「狂気の世界」も手品と同様で、 トリックに気付いたら一々ビビらなくなるということであります。
『ニューアース』の前半では、この世界や自分自身に蔓延るトリックについて長々と書かれており、 気付きによってそれらトリックを一つずつ見破っていくと、 自ずと「本当の自分」が現れてくるわけでございます。
それでは2章をみてまいります。
まずは「幻の私」「幻の世界」を作り上げている、エゴの仕組みから。
P.85には「エゴ的思考は、完全に過去によって条件付けられ、その条件付けは2つの面からおこなわれる」とあり、 ここに書いてある2つの面とは以下の通りです。
これだけでは何のことやらなので、具体例を挙げると、
「エゴの中身」というのが、「きのこの山が好き」「たけのこの里が好き」というような好き嫌い、こだわりです。
これだけなら良いのですが、「きのここそ至高」「たけのここそ正義」なんて思い始めて、きのこ派たけのこ派をつくり、 きのこorたけのこが貶されるとまるで自分が屈辱を受けたかのような感じになり、相手を敵とみなして反論、攻撃する。
これが「エゴの構造」であり、きのこやたけのこと自分とを同一化し、 そこからあらゆる苦しみや争いが生まれているというわけです。
これがきのこたけのこ戦争程度なら「どうでもいいわ(レ」と思うのですが、 エゴの中身が「学歴」や「容姿」といったものならどうでしょうか。
「高学歴なんて役に立たない」 「低学歴は低収入で当たり前」 「ブサイク&ブスは生きる価値がない」
こんなことを言われたら、頭にくる人、結構いるんじゃないでしょうか。
なぜこのようなことになるのか、 なぜ多くの人がきのこたけのこより学歴や容姿に対して無意識に反応するかというと、 「完全に過去によって条件付けられている」からであり、
過去に学校や勉強や学歴のことで色んな経験をしてきた、 または容姿についてあれこれ言われたり経験してきたからです。 (それに比べたら、きのこたけのこなんて些細なことだろう)
さらに、たとえエゴの中身が「良い(上の例だと高学歴、イケメン美人)」ものだったとしても、
「エゴ的構造では完全に同一化できないので、更に多くを求めるし、決して満足しない。 そしてさらなる虚栄心や劣等感、苦しみや地獄を生み出す。キリがない」
と書かれてある通りで、東大に受かっても喜びなんてほんの1ヶ月ちょっとで、 そこから更に苦しんだ私は身をもって実感できるし、 イケメンや美人の人も実感できるでしょう。
こんなものに囚われて生きている世界を「狂気の世界」と言わずして 何と言えばよいのでしょうか。
ただ、1章のP.55にあるように、エゴは解体される運命にあります。
なぜなら、エゴもまた形であり、 形あるものは必ず崩れるからであり、上に書いた気付き、 または「エゴによる苦しみ自体」によって崩していこうというわけです。
2章 アイデンティティの移行に続く。
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