前回の記事:ペインボディからの解放
今回から7章です。サブタイは日本語版と同じ。
この辺になってくると、本文を読んでも特に難しいことなんて書いてないし、 読めばそのまま意味が分かるのではないでしょうか。
じゃあこんな解説記事なんて意味無いじゃんと私は思うのですが、 折角なので書いてまいります。
※ここまで、4年前の2013Ver.と同じことを書いていてビックリした。
あと、特に書くこともないので6章については前回で少し触れた程度になりましたが、 また何か書くことが見つかったら、来年の解説記事か追記の記事にて書きます。
まず、7章や前の6章あたりから頻出する「いまに在る(英語だとBeing presentとかPresence)」とは一体何でしょう。
昔は「今にいるぞぉ!」とか「今〜〜〜ッッ!!」とかやっていたのですが、 やって分かったことは、どうもそういうものではないし、そもそもナンセンスだということ。
6章にも「考えても”いまに在る”ことはできない」なんて書かれているし、 じゃあどうすれば良いのか例を挙げると
こんな感じで書かれており、読んだだけではさっぱり分かりません。
私が色々やったり気付いたりして分かったことは、 「いま」とは起きている出来事ではなく「存在」だということであり、「いまに在る」とは
こんな感じで言い表せるのではないかと思うのですが、
これも文字にしたら何とも陳腐なものになり、 しかも他からパクってきたものばかりじゃないか、 という風になってしまいます。
ちなみに、対話形式で表現するなら、 私が大いに参考にさせていただいている『ガンガジとの対話』にある
http://gangaji.jugem.jp/?cid=2
の一番上の対話や
http://gangaji.jugem.jp/?eid=113
これなんかが近いと思いました。
こういう、文字を読んでもよく分からない感覚的なものは、 ニューアースだけに偏らず、色々読んだり自分でやってみるしかなく、 何か感覚がつかめたなら、それを自分なりの言葉で表現するのが良いというのが、 現在の私の意見です。
※この話題についてはいずれまた書くが、 本書に色々書かれていることを包括した状態が「いまに在る」なのかもしれない。
お次はこれ。2013年の頃から本書の解説記事を書く度に書いている内容。
1〜5章までで散々「狂気の世界」が書かれている本書を読んだ人は、 「もうこんな狂った世界はたくさんだ!私が望むのは安らぎだ!」 と思ったりして、実際そう決意するのでしょうが…
金を無くした、希望が叶わなかった、大事な物が壊れた、ネット上や職場で悪口を言われた、 身体に痛みが走った、配送業者の手違いで荷物が届かなかった…
こんなことが我が身に起きると、すぐに怒りや不安が湧き上がり、 「安らぎ」などとは程遠い状態になってしまいます。
これが本書でいうところの、
ということなのですが、意識が変わらない人というのは、 大抵の場合この状態にすら気づいていないし、
万が一気付いたとしても「俺は本当に安らぎが大事なんだ!なのにアレのせいで…!アイツのせいで…!」 というような、言い訳にもならない戯言を言ったり考えたりするわけです。しかも無意識に。
これがどういうことか分かるでしょうか?
分からない人は「ふりだしに戻る」なので、ニューアース1章から読み直してください。
「ああ、今の俺にとっては、安らぎよりもこんなことが大事なんだな。そういう反応をしているもんな」 ということに気付き、それを素直に認めましょう!!
こういうことに気付いて認めた上で、本当に安らぎが大事なら、安らぎを選べばよいのです。
そうすれば観察と気付きの中から、本当の自分(生命,宇宙とかそんなの)が答えを出すというわけでございます。 (間違っても、自分の頭で考えた下らない決意や思考でどうこうできるわけではないことに注意!)
この辺のことは、当記事の前半に載せた内容と合わせてみれば、何かみえてきます。
以上、今回はここまで。
白隠禅師の墓参りに続く。
生きる上で大変ためになる記事一例
引き寄せに関する大変素晴らしい記事一例
...