解説まとめ『私は誰か?(Who am I?)』

最近はnoteで下らない記事ばかり書いていて、こちらのサイトはあまり更新しておりませんでした。 noteの方が編集しやすいからね、しょうがないね。

ですがちょっと前、天一(天神橋筋1丁目)でインドカレーを食べていたとき「そういえば『私は誰か?』について書いていないな」と思い、 いっちょ解説記事を書いたるか、という運びとなりました。要はやっとこさ書く気になったということであります。

ベジタブルカレー
完全ベジタブルカレー。美味しかった。

※関係ない話だが、天神橋筋は「丁目」の数が多くなる程治安が悪くなる気がするね。 天一は平和そのものだけど、天六なんて青木雄二の漫画の舞台やし何より人さらいがおるし。

あと、noteで有料記事にしようかという考えも頭をかすめましたが、 本編が無料なのに金をとるとは無礼千万、罰当たりにも程があるということで、 本編同じく無料で書いてまいります。 (解説記事を書くこと自体がおこがましく無礼千万な気もするけど、ままええわ)

『私は誰か?(Who am I?)』概要

そんな『私は誰か?』(以下「本書」とする)ですが、 ラマナ・マハリシの公式サイトからPDFが無料でダウンロードできるので、 まずはそれをダウンロードして読みましょう。薄いからすぐ読めるで。

URLは以下の通り。

日本語版:アドレス載せたら何かバグるから「ラマナ 私は誰か」でググってちょ。

英語版:https://www.sriramanamaharshi.org/wp-content/uploads/2012/12/who_am_I.pdf

あとで書きますが、英語が少しでも分かる人は、日本語版と英語版両方を比較して読んだ方がよろしい。 日本語版の「心」や「想念」なんて単語は、日本語だとチンプンカンプンですからな。

それはそうと、本書の概要としては「まえがき」にある通りで、

みたいなことが書いてありますが、この辺は実践しないとサッパリでしょう。

要は

何か思考が湧いてきたor何か出来事が起きた→「これは(この思考はorこのことは)、誰に起きたのか?」→「私にだ」 →「ではその『私』とは誰か?」

を、しつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこくしつこく…「しつこくの1000乗」くらいしつこく繰り返すことが、 本書の肝となっております。

本書を読む上での注意点

そんな本書ですが、読む前に注意点を2つ。

これもいつものことですので、賢明な読者の方ならご存知でしょうが、

ということであります。

まあ私などよりもラマナの孫弟子の言葉の方が説得力あるので、 『ガンガジとの対話』より引用させていただくと以下の通り。

まずは「下らない理想を持っても無駄」から。

ラマナは完璧だったでしょうか? お兄さんに聞いたらおわかりでしょう。 お兄さんのお金を盗んで、家出をしたのですよ。

ですからね、私たちには、完璧という概念があるんです。

先ほど、理想について話がありましたが、とても危険です。 幼稚だからです。 私たちは、理想像を心に思い描き、それをめざしてがんばりますが、理想をつかみとることはできません。

なぜなら、理想像とは、作り上げられたもの、偽造されたものだからです。 私たちはどうあるべきか、彼らはどうであるべきか、あれや、これは、どうあるべきか、神とはどうであるべきか、 というように、理想像を追いかけて躍起になっていると、私たちの人生は、どんどん、どんどん小さく狭くなっていきます。

理想化は、誤りです。 あなたの人生を盗み取ってしまいます。 理想像は、あなたの知識が作り出しています。

『どういうふうであるべきかは、私がよく知っているわ』 『どういう私であるべきかは、私がちゃんと知っているわ』 『こういう場合に、こんなふうに感じるべきではないことはちゃんとわかっているわ』 『もし私が悟っているのなら、こんなことを考えるはずがないわ』 という具合ですね。

このように、よくある話だし私も散々書いてきたことですが、

「ラマナは完璧な聖者に違いない」「悟った人間は常に明鏡止水の境地で、感情の起伏がなくなる」 「私が悟れば全ての悩みがなくなる」「私が悟れば『良いこと』しか起きなくなる」

などいった「理想」というものは、実のところエゴ(思考)の幼稚な産物である、ということ。

※実際、ラマナも不機嫌なときがあったり、村人の話を涙を流しながら聞いていたという記述がある。

お次は「鵜呑みにしても無駄」について。

そして私たちは、いかに自分が虐待され、被害者であり、その生存者であるかという公式を作り上げます。 その結果、自分自身にレッテルを貼付け、苦しみを背負います。 私はそうなのだ、というふうに認識をし始め、教会やスピリチュアルな先生、テレビの悩み相談、 などというような援助団体が語っている、『どのように生きたらいいか』という処方箋に従って生きるようになります。

誰かが教えてくれる『どうすればいいか』に従って生きるのでは、まったく子供と同じです。

ですから、成長なさることです。そして一体どうしたらいいのかを、誰にも言ってもらわないことです。

そうしたとき、あなたは、あなたの本質である明晰さ、静寂な意識へと引き戻されます。 そこには、イエスがそう言ったとか、ガンガジがそうしろと言ったとか、 ラマナがそう言った、というような処方箋はありません。

(中略)

私たちは、幼稚園や小学校のときから、何かに従うように訓練されてきました。 そしてスピリチュアルな生き方の中でも、同じようなことをしています。 誰かの、そうするべきだという言葉に従っています。

全く必要のない重荷です。

こちらもよくある話で、散々書いてきたことです。

あなたも私も別にラマナではないので、 「ラマナが言った通りにすれば苦しみから解放されるに違いない」 なんていうのは勘違いもいいところ。

この勘違いと上の「下らない理想」とが合わさると、個人崇拝&教祖誕生からの形骸化となるわけで、 その過程は『かもめのジョナサン』の4部に書いてある通りです。

そもそもの話、次回から説明してまいりますが、「言葉」という思考(苦しみの根源である思考)から生まれた、 極めて限定されたツールを使ってあれやこれや説明したり人に伝えたりするわけですから、 全てが正確に伝わらないのは当然のことですし、

伝言ゲームの末に最初の言葉が歪曲されてとんでもないことになっているのは、 キリスト教や仏教の歴史が良い事例でございます。

なので、この解説文を含めて話半分で聞けば良いのですが、 個人崇拝したがる人間の方がマジョリティだし、 教祖様を崇めてそれで満足なら、私はそれでもええと思うけどね。

以上、理想を追い求めていないか、本書を鵜呑みにしていないか、ちゃんと観察しながら本書を読みましょう。

今回はここまで。次回から1問ずつ解説してまいります。

次回:『私は誰か?(Who am I?)』その2に続く

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