首尾一貫こそが善で変節や矛盾は悪か

私は昔から学校や家で「首尾一貫した意見、考え」というものが尊重される教育(訓練)を ずっと受けてきましたし、これを読んでいる大部分の方もそうでしょう。

おかげで「人間というものは徹頭徹尾、同じ意見や信念を持ち続けなければいけない!」 なんていう変な固定観念ができて、矛盾や変節なんて聞くと反射的に「悪」であると断定 するようになってしまいました。

それは自分だけでなく他人に対しても同様で、 首尾一貫した意見を言う人間を良しとし、矛盾を抱えた人間、変節する人間をこの世の悪だと 思っておりました。

変節だらけじゃないか!

ところが最近、自分が書いた当サイトのコーディングを変えるついでに 中身を読み返してみると、まあ意見がコロコロ変わっていること。 まるで戦中戦後の朝○新聞の如く変わっているじゃないですか。

一例を挙げると、

一事が万事こんな感じで、 イングヴェイ・マノレムスティーンを思い出し、 何とも言えない気分になりました。

変節=人生が変わること

ただ、何とも言えない気分の中で気付いたのは、 それだけ私の価値観が変わったということで、 事実、周囲を見渡してみれば、住む場所をはじめとして何から何まで変わっております。

自己弁護するつもりは9割方無いですが、価値観が変わること、 今まで好きだったものが嫌いになる、 あるいはその逆、こういった変化こそが「人生が変わる」ということではないでしょうか。 たとえ変節や矛盾があったとしてもです。

その価値観や固定観念の変化につられる形で、 五感で認識できる現実世界も変化していくのでしょう。

まとめ

要するに何が言いたいのかというと、

ということです。

まあ、何事も適当が一番だと今は思っていますが、 半年後くらいには別のこと(「熱血万歳」とか)を言い始めるかもしれません。 その時はその時だと思いつつ、今日も適当に生きております。

追記

ここでいう「人生」とは、所謂悟り系でいう「人生の状況」のことであり、 いくら色々変化しても、変わらない何かがあることは分かっております。

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