感情はあてにならない:解説エイブラハム青本

前回の記事:本書の欠点と代替案

今回から 『実践 引き寄せの法則 感情に従って“幸せの川”を下ろう(通称「青本」)』 という長ったらしいタイトルの本について解説文を書いてまいります。

今回は各ケースの前にある導入部についてで、 その後の各ケースはどのように書くかは決めてませんが、 これを書いているうちに思いつくだろうからとにかく書いてまいります。

「自分」のはじまり

まず書かれているのは「自分」というものがいつ始まったのかという話題。

母親の胎内から出てきたとき、 もしくは受精して細胞分裂を始めたときからが「自分」の始まりだと考えている人間が殆どだけど、 実はそうではなく、身体に宿る前から「自分」というものは存在しており、 それが「本当の自分」「源(ソースエナジー)」だとのこと。

これは一見胡散臭いことこの上ない説ですが、 人間がオギャーと生まれたからといって新たに質量が出現しているわけでなく、 その人間の肉体を構成する素となるエネルギーは生まれる前から既に存在しているので、 そういった意味では本書の記述は全く正しいといえます。

※人間が生まれるたびに質量が新たに発生していたらえらいことになる。 これは当サイトで何度も述べている 「人間が死ぬ度に質量が消滅していたら今頃地球は核爆発で消し飛んでいる」と同じ。

ともかく、私たちが生まれる前から私たちの素となる物質(というかエネルギー)は既に存在しており、 そのエネルギーがタンパク質や水分やカルシウムなどを纏って出来上がったのが、 現在私たちが認識している「自分」だということです。

要するに

ということですが、

何でわざわざ私たちはこの物質世界に誕生したのか、 本書には尤もらしい理由が書かれていますが、 生まれてきた理由なんてものは自分自身はおろか誰にも分からない、 というのが本当のところであります。

感情は当てにならない

ともかく、普段思考や知覚でもって認識している「物質の自分」の他に、 思考や知覚では認識できない「本当の自分」というものがあるのは、 物理学的見地から考えても事実であると理解できるでしょう。 (その対象を「本当の自分」「源」と呼ぶかは別だが)

で、本書では「『物質の自分』と『本当の自分(源)』がズレていたら嫌な気分になり、 調和していれば良い気分になる」なんて書いてありますが、 この概念こそが引き寄せ難民を量産する一因となっているのです。

なぜなら、賢明な読者ならお分かりでしょうが、 感情なんてものは思考と同様にコロコロ変わるものだから、 そんな移ろうものを指標としてもロクなことにならない、 雲や蜃気楼を目印に砂漠を渡るようなもので、 その結果は火を見るより明らかなのであります。

そもそもの話、本書でいうところの「感情」というのは、 良い気分悪い気分といった「エゴ的感情」であり、 それらを超えたところに思考や知覚では理解できない「真の平安」があるというのは 『The Power of Now』の解説記事などで散々書いてきた通り。

なので、この辺については本書を鵜呑みにせず、 「良い悪い」という思考を超えた 「たった今」「源」「意識」「語り得ぬもの」等に委ねるようにしましょう。 (方法についても散々書いてきた通り)

本質をある程度理解できれば、 平安のうちに怒ったり泣くことも可能となります。

※この辺のニュアンスを字面で表現するのは難しい。 分かる人は平安を見出だせるだろうし、 分からない奴はもっと苦しむがいいや!

以上、今回はここまで。

「たった今」調和するに続く。

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