正しい選択をする方法:感想『ガンガジとの対話』

前回の記事:「理想」は幼稚でインチキ

今回も『ガンガジとの対話』の感想文ですが、 これまでとは打って変わって今回は軽いエピソード。

「人生は選択の連続」と昔の偉い人が言ったようですが、 その「選択」について。

言葉通り、日々の買い物から志望校や職業の決定に至るまで様々な選択がありますが、 そこのあなたも「正しい選択をするにはどうすれば良いか」なんてこと、 一度は考えたことあるんじゃないの。

正しい選択はどうすればできるのでしょう

というわけで本編。

↑のサブタイで検索するとロクでもないブログばかり出てくるので、 全文読みたい人は↓のurlをアドレスバーに貼り付けて頂戴。

http://gangaji.jugem.jp/?eid=84

質問者:何かを選択をしなければならない状況がある場合、 どちらを選べばいいのかをどうやって知ることができるのでしょうか? 

ガンガジ:あなたにはどうなさっているのですか? ご自分の真実を否定なさっているとき、何かサインが感じられますか? 重要な質問ですね。 私たちは、思考に頼り『あっ、こっちが正しいな』と判断し、 あるときは感情に従い『これが正しい選択のような気がする』と決定し、 またあるときには『よし、直感が働いた!絶対これだな』と、そのようにして選択する訳ですが、 何に従って決定したとしても失敗することがあります。 だれもが経験しています。 そういう失敗を何度もしていますね。(笑い)

質問者:決定する前にどうやってそれが正しい決定なのかがまだ分かりません。

ガンガジ:分かるような何かではありません。

質問者:自分で気づいているのは、真我に従った決定を行ったときには、 後に、こみ上げてくる歓びのようなエネルギーがあります。 正しい選択だったという確信というのでしょうか。でもそれは、後から感じることです。 先にそれが分かるにはどうしたらいいのかなあと。。。

ガンガジ:どうやってコントロールできるかという訳ですね。(笑い)

質問者:まあ、そう言われればそうです。

ガンガジ:どうやったら、思い通りに仕切れるか。

質問者:そういう言い方もできるかもしれませんが。

ガンガジ:ただ一つの答えは、“私たちには知る由もない”ということです。 “分からない”それだけです。 あるがままに心を開き、そこから発見なさることです。 誤りをおかすことに喜んで心を開く意図をし、真実を語ろうという意志を持つことです。 つまり、どのようなことが起ころうとも、それを喜んで体験しようという意志を持つことです。

質問者:行動を起こすという意味ですか?

ガンガジ:「止まる」のです。そして何が起きるのかを待つのです。 もしそこで行動が起きるのなら、そのようになさればよいでしょうし、行動が起きなければそれもよいでしょう。 その後、どのように展開していくのかを発見なさればよいでしょう。 はじめに、STOP。止まるのです。止まれば自然に開きます。

質問者:考えることをやめるのですね。

ガンガジ:ええ。私たちは、ああでもない、こうでもないと、考えます。 それをただ、やめるのです。 “何も分からない”分からないままに、心を開く。

パパジが「待って、見守る」ということをおっしゃいました。 『やってみましょうか、どうしましょうか』と質問する者たちに、 『待とう。まだ、心に落ちないから』と、パパジは答えました。

そうすれば誤りを犯すことがないという意味ではありませんよ。 誰だって誤りを犯します。神だって間違います。 皆さんも同感ではありませんか?(笑い)

誤りは人生の経験ですね。 私たちは誤りを恐れます。自分や誰かを傷付けるかもしれません。 死ぬ程までに。 もちろん恐れた方が良い場合というのも確かにあります。

でも、誤りを犯かすことに対し非常に大きな恐れを抱くことは、非常に大きな誤りです。(笑い) 隅の方にいて、知識を増やし、これはいったいどのような意味だろうか、 どうすれば良いだろうかと方法を考えてばかりいて、 そして、突然、気づくと死ぬときがやってくるのです。(爆笑)

誤りを犯すかもしれない。誤りはあなたを死に至らしめるかもしれない。これが人生の現実です。 家の中にいても死ぬかもしれませんしね。家が崩れて。地震や津波が世界のあらゆるところで起きています。

そういうことが起きることは誰もが頭では理解できますが、 まさか自分にとは思いもしないでしょう。そして、こうすればきっと大丈夫だろう、 ああすれば大丈夫だろうと、免れる方法をあれこれと考えます。

もちろん私たちには考えて予防する能力もあります。思考の役割は重要です。 でもあなたは、“止まる”ことができます。 そして心を開くのです。 (ガンガジ、胸の前で両手を大きく広げる)ご自分で発見なさってください。 そうなれば、あなたの人生は探求となります。 発見の人生です。 身体的、精神的、感情的、状況的な発見という多次元の発見です。

そうなると理性は、仕切るかわりに従うことになるでしょう。 理性は、理解しようとがんばるかわりに『あれっ。わあ、そういうことか』と発見をするでしょう。 『こりゃあ、失敗だったか。』『わあ、ひっぱたかれたぞ。』 またはその逆かもしれません。 ひっぱたかれたかと思いきや、実は、最高の快挙であった。 が、そう思ったとたんに、はり倒されたと。(爆笑)

ですからね、結局のところ、分からないんです。 分かろうとするのを止めるというよりも、“分からない”と気づけばいいのです。 そうでしょう? 初めから何も分からないのです。何という解放ではありませんか? 分かろう、理解しよう、となさるのが混乱の原因です。

理解したいのに理解できないという欲求不満があるのでしたら、それを助け舟として利用することができます。 内側に炎が燃え上がるのを許してごらんなさい。胸の奥に熱がありますね。エネルギーです。 理解したいから、何とかしようと画策したり、自分にむち打つかわりに、 ただこのエネルギーが胸の奥に燃え上がるのを許してご覧なさい。 人生は冒険ですね。 その中には、死んで動かないような部分もあれば、 聖なる部分や、ごくありきたりの部分、危険な部分や、至福の部分や、退屈な部分もあることでしょう。

でも、あなたがそれらすべての核なのです。 失敗の中に、成功の中に、あらゆる瞬間の中に、そのような部分を発見するのです。 あなたが、失敗だと思ったその瞬間に、よし!と言って向き合うなら、失敗は大変大きな助け舟です。 もちろん失敗は嬉しくはないでしょう。でも、力があります。そして役立ちます。 理解しようと思考を働かせず、分からないままでいることをご自分に許してごらんなさい。

ということで今回も、

ということでございます。

ほぼ蛇足

そんなわけで、今回の選択についての対話前半で殆ど終了となり、 残りは「瞑想をしなくちゃいけないんだけどテレビを見たい」などという、 下らない?質問となっております。

ガンガジ:あなたがおっしゃっているような選択は、 人生の選択のようには見えません。 小蠅がやってきては飛び去っていくようなものです。

質問者:そうですね。

ガンガジ:それなら追っ払ってもいいですし、 それとも飛び回るままにほっておいてもいいのではありませんか? どちらに決めようが、たいしたことはありません。 深いところからイエスかノーかというような、大事な瞬間という訳ではありません。 表面的な、イエス、ノーです。お好きなようになさればいいでしょう。 私がお話ししていたのはそのような表面的なことではありません。

質問者。。。じゃあ、私が例えば常にテレビを観る選択をしたとしても?

ガンガジ:かまわないのではありませんか? そのようなことはどうでもいいことではありませんか? 毎日ホットドッグを食べていたってかまわないのです。(爆笑)

質問者:僕はベジタリアンじゃないですし。

ガンガジ:じゃあ、まったく問題なしですね。(爆笑) 思考は「正しい選択をし、これをやっていれば、きっとあれとあれが手に入るぞ」という具合に先走りをします。 もしあなたが、毎度正しい選択をし続けていたとしたら、いったい何が手に入るのでしょう?

質問者:ええと、、、、テレビか、瞑想かという選択で言うなら、 もし瞑想ではなくテレビを選択してしまえば、私はあまり良い気分ではないだろうと思います。 そして瞑想を選択すればきっと、とても満足だと考えるだろうと思います。

ガンガジ:その満足感は、どちらも一時的なものではないですか?

質問者???ええ。その通りです。

ガンガジ:あなたは、一時的な満足ではない、“何か”が欲しいでしょうか?

質問者。。。。ええ。

ガンガジ:少し躊躇なさっていますね。

質問者。。。いえいえ。ええと、、、、はっきりしています。私は一過性でない何かを望んでいます。

ガンガジ:本当ですか?

質問者:ええ。確かです。

ガンガジ:それでは、あなたがテレビを見ているときも、瞑想をなさっているときにも、 変わらずにここに存在している”それ“を発見なさってください。 “それ” があなたの真我であることに気づいてください。私がいつも提案していることです。 よし!と言って、向き合おう、という私の提案はそのような意味です。

このようにグダグダのまま対話が進み、

ガンガジ:一体、あなたのご質問は何でしょうか?

質問者(苦笑)そうですねえ。いい例えが浮かばないです。 私の頭には、 一日に何度も、日常的にたくさんの疑問が浮かびます。

ガンガジ:多分それは、ほとんどがあなたの頭の中の思考の活動です。 そのような疑問、思考のおしゃべりを一々取り上げて楽しむ必要はありません。 ホットドックを選択するか、それともしないか、 そのようなことは一瞬にして決めればよいことです。 わざわざそのことに関して思考をあれこれと巡らす必要はありません。 テレビも、瞑想も同様です。頭の中で、ああなのか、こうなのかと議論する必要はありません。 あなたがご存知の通り、今ここに、変わらずに存在している“それ”があります。注意を向けるのはそれです。

質問者(しばらく沈黙)

ガンガジ:いかがでしょう?

質問者。。。。少し混乱しています。

ガンガジ:混乱は思考の一つの状態です。分からない、というのと同じです。大変よいサインです。 (ガンガジ、両手を広げ)混乱したままでいてください。 思考を働かせて分かろうとせずに、分からないままでいてください。 内側での議論をおやめなさい。

ということで、日常の選択、例えば晩ごはんは肉にしようか魚にしようか、 勉強しようかゲームしようか、今度の休みの日はどこに行こうか等、

どれを選んでも一時的なものしか得られないものは「選択」ではなく「雑音」なので、 グチャグチャ考えず一瞬で決めればOK、何を選んでも大して変わらない、 ということでした。

というか、人生における「選択」と呼ばれているものの殆どがこういった下らない「雑音」だろう、 なので前半部分の選択をする機会はめったにないと私は思うのですが、 これを読んでいるそこのあなたはいかがでしょうか。

以上、今回はここまで。

変化するものしないものに続く。

...

ページのトップへ戻る