変化するものしないもの:感想『ガンガジとの対話』

前回の記事:正しい選択をする方法

今回のテーマはニューアースの2章あたりから頻繁に出てきた 「アイデンティティの移行」について。

「アイデンティティの移行」と言われてもピンとこない人に対して簡単に説明するなら、 要するにに「自分」というものをエゴ(思考、感情、身体ナド)から 意識(生命、静寂ナド呼び方色々)に移すというもの。

まぁ、こうやって文章で書いても何の説明にもならないし、 実際にやってみないと頭の中だけの話となるのですが、 「目覚め体験」みたいなのを体験しても、それは一時的なものだというのは、 今回の対話をはじめ、対話の中で散々出てくる通り。

あと、今回は長いので、面倒な人は最後の箇所だけ読めばおkです。

どのようなときにも変わること無く存在しているのは

というわけで本編。

↑のタイトルで検索しても首相官邸ホームページとか出てくるので、 ↓のアドレスを直接貼り付けてちょ。

http://gangaji.jugem.jp/?eid=136

質問者は夫が亡くなった直後に目覚めの体験をしたけど、 また元に戻ってしまったとのこと。

ガンガジ:それでは、あなたのアイデンティティー(自己認識)をシフトしてご覧になるよう提案いたしましょう。

質問者。。。おっしゃることはわかるのですが、、、問題はそこなのです。

ガンガジ:何が問題なのですか?

質問者:舞い戻ってきたときに、自分の身体が自分だというアイデンティティーに立ち返ってしまいました。

ガンガジ:その通り。それが問題ですね。 あなたという、アイデンティティーが戻ってきた訳です。転生輪廻の体験で。

質問者:はい。

ガンガジ:あなたのように意識が広がる体験をすると、 そののちに、今ここにまったく変化せずに存在している「それ」を、 否定したり見逃してしまうということが起こることがあります。 なぜなら、あれを取り戻したい、もう一度体験したい、 というように、覚醒の体験への執着が起こるからです。

けれども体験というのは、起こり、やがて消えていくのです。 どのようにすばらしい至高体験であろうと、体験とはそのようなものです。 誕生があるものには必ず死があるのです。意識が広がるといった覚醒体験が、 初めからあなたに存在していたものなのではなく、あるとき突然現れたものなら、 それは必ず失われるということを意味します。

ですから、あなたが見いださなければならないのは、体験の如何に関わらず、 ずっと変わらずに、今ここに存在している「それ」です。 それを見いだすことができれば、あなたは、あなたの注意を、 身体から、身体がやってきた「源」へとシフトさせることができます。 「源」は常に変化せずに存在しています。 恐れがやってきたのもその「源」からです。

もちろん私たちは、広がった意識の体験や覚醒の体験といった、 特別な至福の体験や至高体験にあこがれ、それらを好みます。 けれどもそれは、ある種の状態、状況でしかありません。そして、状態、状況、には限りがあります。 たとえば、私たちがはじめてこの身体に気付いたときもそうでした。 どれほどドキドキする体験だったことでしょう。『わあ、これはすごいぞ!』私という自我の体験は、興奮を伴っていました。 けれども、限りがありました。

質問者:限りがある、、、その通りです。私が感じるのはそれです。

ガンガジ:そうでしょう。だって、あなたは今、その身体がご自分であるというアイデンティティーの中におられるのですから。 そのアイデンティティーをシフトさせてご覧なさい。常に変わらずに、いつもここに在る”それ”にシフトさせるのです。 それこそが"I AM "真実のご自分自身ではありませんか?シフトさせるとどうなるでしょう?ご自分自身に問いかけてご覧なさい。 真実の私とは何かと。

このように、他の対話でも何度でも出てくる

ということなのですが、「シフトさせましょう」と言われてすぐにシフトさせられる人はいないだろ、 というのが私の考え。

変化するものしないもの

では続き。

質問者:先日、鏡を見ていたんです。私が映っていました。 それを見て、嫌な感じがしました。自分は本当はこれではないと、ちゃんとわかっているんです。 でも、じゃあ、鏡に映っているのは誰なんだろうと考えました。

ガンガジ:ちょっと待ってくださいね。ちょうど手元に有りますから。 (ガンガジ、手鏡を取り出す。) (質問者 会場 笑い)

これはね、力強い瞑想になりうるんですよ。 (ガンガジ 鏡を質問者に向ける) あなたの顔が鏡に映っていますね。ごらんになれますか?

質問者:ええ、見えます。

ガンガジ:では、この鏡に映っているあなたと、私を見比べてください。同じ何かが見えませんか? もちろん形は大変異なっていますね。でも私が申し上げているのは形のことではありません。 形を通り越した向こうに存在する何かです。 鏡に映っている形のもっと向こうに在り、こちらに向かって放たれているのはなんでしょう。 見るという体験の、さらに奥に存在するのは?

質問者。。。

ガンガジ:それでは目をつぶってください。実際に目で見る必要さえありません。 それは既にここに存在していますから、目をつぶっても明らかです。

質問者。。。以前あなたにお会いしたとき、あなたの内側に本当の私が存在しているのを見たような気がしました。 あなたの瞳が輝いて、私に微笑みかけてくださったとき、確かにほんの一瞬だけ、 あなたの中に私の本質を見たように感じたのです。 でも、今は見えません。

ガンガジ:この私の身体の奥から叡智が輝き出ているのが見えないと、そうおっしゃるのですか? (会場大爆笑)

質問者。。。命が見えますけれど。。。

ガンガジ:生命力ですね。

質問者:ええ。そこに生けてある薔薇にもあります。

ガンガジ:そうです。ただね、薔薇ももちろんそうなのですけれど、 この人間の形をした身体にある種の叡智が在り、それがそれ自身を認識し、 そして、あなたという異なった形の身体に存在している同じ叡智と出会っているのです。 おわかりになりますでしょうか?素晴らしいではありませんか。

質問者:そう。そう。その通りです。

ガンガジ:明らかですよね?

質問者:ええ。

ガンガジ:あなたにとってなじみ深いあなたの姿を鏡で見たときに、

質問者(鏡を見て顔をしかめる)

ガンガジ:そうですね。(笑い) 私たちは鏡を見るとき、ふつうは表面を見てそれでおしまいです。 形の悪いところや良くないところ、直したいところにばかり注意が向くものです。

けれども実際にはそこに、叡智が輝いていることに気づく機会があります。 形の向こうから放たれている叡智です。 生命力。意識。他にも違った言葉で表現できるかもしれませんが、それが、こちらをじっとうかがっています。 鏡の中の意識がそれ自身を見ている。気づきませんか?

もちろん、目を背けたくなることもありますよ。鏡の中には、あなたという身体の形や、 自己嫌悪や自己憐憫、いろいろなものが見えますから。

質問者:ええ、そういったものが、叡智を見るのを邪魔しているかんじです。

ガンガジ:あなたがそのようにおっしゃるのはわかります。 でも、あなたに保証します。静寂、平安、無限、意識、なんと呼んでもかまいませんが、 「それ」は、すべてを包含しています。身体や、自己憐憫や自己嫌悪といった、 目を背けたくなるようなものすべてを包含しています。

ご自分の姿を鏡で見るのと同様にして、他の人の身体も見てご覧なさい。 嫌いな誰かを思い起こさせる身体や、その人のムードだとかから離れて、つまりそういった事柄を通り越し、 「意識」そのものに気づいてご覧なさい。鳥や、爬虫類、クジラの瞳、どこにでもあります。

そしてやがてお気づきになるでしょう。「それ」は形とは何の関わりもないことに。

もちろん形はそれぞれが美しく神秘的で、時には恐ろしくもあるかもしれませんが、 形を飛び越えて、まったく同じなのは何でしょう。それをご自分自身の中に見過ごしてしまっては、外側にも気づきません。 ですからさきほど、とても重要な、最も強力な瞑想になりえるかもしれないと申し上げた訳です。

私たちは、身体を無視し、無いことにするのが好きです。 皆が熟睡を好むのもそこには身体がないからではありませんか。 中には、朝目が覚めるのが嫌だという人すらいます。そして日中にも深い眠りの状態を求めることもあります。 でも、熟睡中だろうが、起きていて身体がそこにあろうが、そのようなこととは関わり無く、意識は常にここに存在しています。 ぐっすり眠ったとおっしゃる時、ぐっすり眠ったことを知っているのは何故でしょう。 熟睡中にも意識が存在し、気づいていたからに他なりません。さもなければ、熟睡したと言えるわけがありません。

あなたは気づきそのものです。 確かに、はじめて自分という身体に気づいた2歳頃に、身体が自分であると勘違いをしてしまいました。 性体験も、身体が自分だという体験を深めるものでした。 そしてやがて精神世界を探求し始めると、身体は身体でしかないのかもしれないと思う訳です。

あなたは、身体という制限を超えた意識です。 朝、目が覚め、身体が戻ってきたときに、その事実と戦うのではなく、 身体があろうがなかろうが、変わらずに存在し続けている「それ」に意識を向けてご覧ください。

鏡に映っている姿の向こうに存在しているのは、なんだろう。 ひどく気持ちが荒んでいるときも、その向こうに変わらずに存在しているのは、なんだろう。 興奮している時、気持ちが高ぶっている時、気分が良い時、そのようなこととは一切関係なく、 そのむこうにいつも変わらずに存在しているのは、なんだろう。

そのようにご自分に質問を投げかけてご覧なさい。ただ単に止まり、じっと動かず、探さずに。 そうすれば、本当のあなたとは何かを見いだすでしょう。

質問者:見いだす為にずっと努力をしてきました。

ガンガジ:それが大難関ですね。 あらゆるところをくまなく探せば、いつかは見つかると私たちは思い込んでいます。 初めてのキスの体験をもう一度味わいたいと探し始めると、既にここに在る真実を見過ごしてしまうのです。 あなたは、覚醒の体験を取り戻したいと探求なさっていた訳です。 ただ信頼し、止まり、ここに在る「それ」に気づくかわりにね。

質問者:わかりました。あなたが止まれとおっしゃっるわけが、わかりました。

ガンガジ:そうでしょう。本当は皆が知っています。 ですが、止まらないようにと、たくさんの探求の脇道や罠が、私たちの周りに張り巡らされているので、、、

質問者:本当ですね。たくさんありますね。 私のこれまでの人生は、その脇道をひとつひとつ探求する為に使われてきました。

ガンガジ:ええ。そのとおりです。人生のすべてを、脇道の探求に使ってしまうこともできます。 でも、これからの人生のすべてを、それをやめることに費やすこともできます。 やめたからどうなるのかはわかりませんよ。でも、ただ信頼し、「わからない」にゆだねるのです。 あなたのご主人が亡くなったときに、それまで前へ前へとつき進んでいたあなたの人生が、 その出来事をきっかけに一瞬真っ白になり、止まったのです。あなたに起きたのはそのようなことです。

質問者:それまで抱いていた死に対する恐怖が、彼の死とともに安堵に変わったのです。 たとえ身体が滅びても、決して失われない何かが在ると、ふとそのとき実感しました。 シフトと言う言葉をあなたが使いましたが、そういう感じでした。でも、長くは続かなかったんです。 安堵はやがて消えてしまいました。

ガンガジ:ですからね、体験は必ず消えるのです。 そして、消えてしまう体験は、決して消えないなにかに、私たちの目を向けさせてくれます。 探すのをやめて、止まり、自己調査をしてご覧なさい。 今ここに、なにが存在しているのか? というふうに、注意を向けるのです。 マインドであれこれ考えるのではなく、単に注意を向けるだけです。 特別な出来事が起きたときも、何も起きていないときも、まったく変化していないのは何かと。

質問者:どうもありがとうございます。素晴らしいです。来てよかったです。 意図をすればこのような気づきは与えられるのでしょうね?

ガンガジ:いいえ、すべてが恩寵です。与えられるか、与えられないか、私たちにそのようなコントロールはできません。 でも、恩寵がやってきたら、責任を負うことはできます。私はこの責任をヴィジランスと表現しています。 目覚めがやってくるのは、恩寵にほかなりません。 ここにおられる皆様も、十分な程の目覚めの体験をなさっているはずです。でも、その後はあなたの責任です。

目覚めの体験があっても、その後必ず多くの壁にぶつかります。 転んだり、間違ったり、つい偽物に従ってしまったり、そしてまた探すことを繰り返してしまいます。 そのときに、止まり、動き回るのをやめるのです。それがあなたの責任です。恩寵を信頼するのです。

質問者:わかりました。

ガンガジ:どんなにがんばっても、はじめてのキスの体験を取り戻すことはできません。 だから一体なんだというのでしょう。探すのをやめて、ご自分を調査し発見してください。

質問者:ありがとうございます。すっきりしました。

(以降のまとめは略)

というわけで、大変長いのですが(長いけど大変読みやすいと私は思うが)、 概要を書くと、

みたいなことになります。

まぁ、こんな文章を読んで頭で考えても何にもならない(本当に何にもならない)し、 立ち止まる以外にないので、やりようがありません。

私は誰か?

なので?、この対話を読んでも訳が分からない人がいたら、 ガンガジの師匠の師匠であるラマナ・マハリシが提唱していた 「私は誰か?」をやってみれば良いと思います。

何が起きても、どんな思考や感情が湧いてきても、

「この出来事は誰に起きたことか?」「この思考は誰に起きたことか?」 「この感情は誰に起きたことか?」

→「私に起きたことだ」

→「では『私』とは誰?」

というように、常に「私は誰か?」を繰り返す方法であります。

※一例を挙げると、以前書いた記事で「私は選り好みが激しい」と書いたけど、 その「選り好みの激しい『私』」とは一体誰?、 というように自分自身に問いかけてみる。

この問いかけにより、即座にアイデンティティが移行するわけではありませんが、 「自分」というものは、単なる思考や身体や知覚や肩書ではないことが自ずと分かってくるし、 最終的には「私は誰か?」という問いかけの思考さえもが燃えていくのであります。

詳しくは無料パンフの「Who am I?」を読んで頂戴。

以上、今回はここまで。

次回に続く。

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