今に在る、今と和解する

外部の状況にとらわれることが、人生を「苦」にしていることは 前回の記事で書きました。

加えて、人生を生きにくくしている原因の一つに、 「今に在る」から外れた生き方をしている というものもあります。

私なんて「今」から目を背け続けてきたために、酷い目に遭ってきましたが、 今回はその「今」について述べてみます。

私の例

プロフィールにも書いたし、他の記事でも散々書いてきたので、 このサイトを読まれている方ならお分かりでしょうが、 私は学校というものが大嫌いで、集団の価値観によって 心や身体を拘束されることを、何よりも嫌っていました。

そのため「この世は地獄だ」と思い、何とかこの穢れた世界から 脱出しようと、いつももがいていました。

その結果、社畜から脱出して、フラフラ生きている訳(2012年当時)ですが、 これが思った以上に「面白くない」のです。

嫌な上司もいないし、クソみたいな就業規則も存在しないので、 楽といえば楽なのですが、脱出しようともがいていた最中に夢見た 「ユートピア」とは、えらくかけ離れたものだったのでした。

ブラック企業から脱出し、社畜から脱出すれば幸せになれると 考えていた私にとって、これは予想外のことでした。

思えば、東大目指して勉強していた時も 「東大に合格すれば全てが上手くいき、俺は幸せになれる」 と思い込んでいたのでした。(結果はご覧の通り)

「じゃあ一体何をすればいいのさ!結婚?大金を稼ぐ?分からん」 とパニックになったりもしたのですが、 今思えばこれは当然のことだったのです。

私は「今、この瞬間」を敵視し、 何かを成し遂げれ幸せになれる、 とず〜〜っと考えていたのでした。

「今」を居心地の悪いものと感じ、何かを達成することで 「今」から必死に逃げようとしていたのですが、 人生は「今、この瞬間」の連続だったのです。

何かを達成した満足感なんて、打ち上げ花火の如く 瞬間的なものでしかなく、「今」はずっとついて回っていたのです。 「今、この瞬間」を受け入れない限り、平和は訪れないのでした。

それが分かってからは、少しずつですが私に平和が戻りはじめました。

「今」に対する態度

というわけで、 私は「今」を敵視し、過去のことについてあれこれ考えたり、 「今」の延長にすぎない、未来のことについてあれこれ考えて、 苦しむ羽目になったのですが、 私のような人間は少なくないように思えます。

「何であんなことしたんだろう」 「あれを達成すれば、あれを手に入れれば俺は幸せになれるんだ」 などと考えている人は、「今」を敵視し、背を向けている人です。 もしくは「今」を目標達成の為の踏み台程度にしか考えていない人です。

そういう人は、いくら自分の願望を達成したとしても、 その心が満たされることは瞬間的なものですし、 その後は手に入れたものを失う恐怖と闘うことになります。 要するに、死ぬまで、身体が朽ち果てるまで闘いが続くわけです。

平和を見出す為にあれこれもがくことが 結果的に平和を遠ざけることになるなんて、 何とも皮肉なことではないでしょうか。

「今」と和解する

常に存在しているのは「今、この瞬間」だけであり、 どんなにもがいても「今」が過去や未来になることはありません。 「今」から逃れることができないなら、 もはや「今」と和解するのが一番ではないでしょうか。

で、その方法ですが、色々あります。 私が思う「今」と和解する最も効果的な方法は、 「あ、今のオレは”今、この瞬間”から外れているな」 と、気付くことです。

「今にいなければいかん」とか「変えてやろう」などと思わず ただ「ちょっと外れているな」と気付くだけです。 (この気付きの源こそが、大いなる力とか潜在意識とか呼ばれるもの)

これを毎日何度も何度も繰り返すのが一番だと思います。 色々やってみた中で、これが一番効果的でした。

私が書いている記事なので、私の経験しか書けませんが、 他の方法について色々知りたい人は エックハルトトールの本が参考になります。 私が現在持っているのは、ニューアース含め3冊(当時の話)。

高い金や手間が必要、というわけではないので 「今」と和解したい人は調べてみてください。 和解できれば、エゴと対峙した時と同じく(今に生きることもエゴと対峙することの一つなのですが) 自分と外部との間に 「空間」のようなものができることに気が付くでしょう。

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