第4章九節から十一節:解説まとめ『ニューアース』完全版

前回の記事:第4章七節から八節

前回は「エゴレベルで幸せなフリなんてしても無駄」 「親という役割に気付け」「子供は親よりも自分のエゴに気付け」

なんてことを書きました。

今回は九節から十一節までで、前回の親子関係が続くのですが、 親子関係に限らない、結構重要なことが書いてあります。

これでやっと二十節ある本章の半分を超えました。 全て終わるのはいつになるのでしょうか。

4章九節 意識的な苦しみ Conscious Suffering

まずは前回に続いて「子供が苦しんだり過ちを犯さないように親である私が監視せにゃ!」 「それが一番子供のためになる」という過保護、過干渉の話。

何が子供に必要なのか、親には、 ましてや親の役割を演じているエゴには分からないし、

このような過保護の根底には 「私は苦しむべきではない」 「我が子は苦しむべきではない」というエゴのカン違いがあるとのこと。

そして皮肉にも、「私は苦しむべきではない」というカン違いこそが 苦しみに対する抵抗や否定を生み、さらなる苦しみの原因となっているわけで、 これは身に覚えのある人多いでしょう。

なので、(思考による内面の)苦しみに抵抗せずに苦しみに対してイエスということ、 意識的に苦しむこと、聖書的な言い方をすれば「エゴを犠牲として神に捧げること」で、 エゴに起因する苦しみが、その苦しみの原因であるエゴを破壊するというわけです。

※マイスター・エックハルトも 「私自身のための苦しみには耐えられないが、神に捧げる苦しみだといくらでも耐えられる」 と言っていた覚えがある。

あと、一応注意しておくが、この「苦しみ」というのは主に思考による内面のもの。 家が火事なのに避難せず「苦しみバンザイ!心頭滅却すれば火もまた涼し」とやることではなく、 丸焼けになった家を前にして、それをどう受け止めどう対処するかということ。

4章十節 意識的な親 Conscious Parenting,

お次は「私は子供のために最善を尽くして行動している」とかいって、 「今に在る」を無視して行動だけをしても無駄、という話。

エゴは「今に在る」を知らないので、行動が全てで、 行動すれば「いつか」自分が完全になると信じているのですが、 無駄な行動の中で自分を失うのがオチだというわけです。

なので、まずは「今に在り」、それから行動しよう、 具体的に言うと、子供に関心を向けようというのが当節の記述なのですが、 「あれをしろ、これはするな」という「形」に基づく注意ではないとのこと。

形を超えた注意、静かな気付きとなって『存在』すること。 その行動の奥にある『存在』が、子供の声に耳を傾け、話をする。

こんなことが書いてあるのですが、 意味不明な人が殆どでしょう。

それは紛れもなくエゴの声なので、 まずは「意味不明だよこんなの」と喚いているエゴに気付きましょう。

また、当節の記述は別に対子供だけに限ったことでなく、 会社や学校における他人でも同様のことなので、 折に触れて練習すればよろしい。

4章十一節 子供を認める Recognizing Your Child

親子関係に関する記述のラストが当節で、 一言でいうなら「”human”と”Being”のバランスを取りなさい」ということ。

親、子、果たすべき機能、演じる役割等、それが何であれ、 そういった行動は全て形レベルの人間(human)の次元に属するものであり、 この次元だけでは人間関係や人生は不充分とのこと。

じゃあどうすればいいのかというと、 humanの次元では知力や体力等に差があったり、 そこに優越感劣等感あったりするけれども、

humanと不可分に絡み合っているBeingの次元では 親子や他人や人類どころか全てが皆等しいので、 humanの次元を尊重するのと同じく、 同時にBeingという形を超えた次元も尊重しなさいということです。

具体的にいえば当節にある通り、 「条件付きの独占欲」というレベルで子供や他者を愛するのでなく、 「子供や他者の内に自分自身を認めよ」 「形を超えたBeingを、子供や他者にも見出だせ」ということで、

と、当節のラストが『Oneness With All Life』のラストになっているのですが、 頭で考えて、もしくは当節を初めて読んで、 当該記述がすぐに理解できた人はいるのでしょうか。

まぁ、こういうのは頭でいくら考えても理解できないことだし、 9章等に書かれている通り、ある日急に分かったりすることなので、 分からないなら分からないまま放っておけばよろしい。

以上、今回はここまで。

第4章十二節から十三節に続く。

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